第711回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第710話  海軍兵学校 泥棒騒動の事。2014年2月1日土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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              【大正時代の広島県江田島海軍兵学校の古写真 】
 
 



  大正10年の2月11日金曜日の小雨の中、海軍兵学校の酒保【生徒向けの物品

販売所】の新しい建物の養浩館 【ようこうかん】が、洋館と、和風館の二棟が落成し、

お祭り騒ぎをして、お祝いをした翌月、3月6日の日曜日の夕方、 洋館の方が全焼

したと、ご紹介しました。
 
 海軍兵学校としては、大変な不名誉な話で、歴史から消されていったのですが、
 
 
 
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          【 当時の校長  千坂 智次郎 海軍中将 山形県出身。】
 
 
 

校長先生の千坂 智次郎海軍中将の預かりとなり、犯人不明、原因不明の火災と

して処理されたというお話は紹介させていただきました。
 
 一部の人しか、知らされなかったのですが、養浩館に物品を納入管理していた

職員が、しばらくして、本人の家庭の事情と言う事で、海軍兵学校から、自主退職

していったのです。
 
生徒や、一緒に仕事をしていた人々は、なにも気に留めていなかったようです。
 
 
 
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この人を、今日の昔話では、A と、させていただきます。  A氏はどうも、兵学

の物品を一般人に横流ししていたようで、 横流しをしていると、在庫量と、現品が

合わなくなるのですが、露見を恐れて、 帳簿類がある養浩館の洋館に、誰もいな

い日曜日の目立たない時間帯に、潜入し、放火して、証拠隠滅を謀ったようです。
 
つまり、書類がもえてしまい、 酒保の中の商品も、灰になってしまうと、なにも確認

が出来なくなるわけでして、日曜日の誰もいない時間帯に火が出ること自体、内部

事情に詳しい人物の犯行と、疑ったようです。
 
平日は、ひと目につくので、 私達 兵学校の生徒が、生徒倶楽部に行って

学校ががら空きになり、 教官達もほとんどいなくなる日曜日に放火した様です。



 
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当時、海軍兵学校の職員、生徒ともに、 身元のしっかりしている人しか、採用

されなかったのです。
 
というのは、敵国のスパイが潜入するのを防ぐ為でして、憲兵隊、警察署が調べ

て、身元のはっきりした人間で、ちゃんとした保証人がいる人でないと、海軍は

雇わなかったのです。
 
このA氏の身元保証人が、野元 光康 海軍大尉 【海兵37期 教官】であった

ようです。
 
 
 
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どうしてこのような事になるかと言いますと、江田島内の生徒倶楽部で、おばさん

達に日曜日にお世話になっていますと、「 近所のどこどこのだれだれさんが、こ

まりょうるけえーー、みっちゃん【野元 海軍大尉の事】 なんとかならんかねー。」

と、頼まれると、出来る事はするというのが、海軍軍人であったのです。
 
そのような経緯から、千坂校長は、 原因不明として処理し、 事実をおのれの腹

の中にしまい込んだようです。
 
しかしながら、4月、5月、6月と、 教官官舎などで、日の高い、真昼の日中に、物

が無くなったり、金銭が無くなる事案が、多発し、 教頭兼監事長の長澤 直太郎

海軍大佐も、首をかしげていたのです。
 
当時、泥棒というのは、夜はいる物でして、ましてや、武道の達人の海軍軍人の

官舎に、大胆不敵に忍び込むとは、これまた、事情に詳しい人間としか、考えら

れなかったのです。
 
 
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大正10年6月16日の木曜日、 たまたま宿直の振り替え休日で、早朝、ご婦人

をともなって、岩崎 猛 海軍中佐殿 【海兵30期 教官、監事】は、2人で、朝の

散歩に出られ、 梅雨の時期の久々の晴れた日を楽しまれ、 朝の08時40分頃、

自宅の官舎に戻ってみると、2人組の泥棒とはち合わせしたのでした。
 
「 貴様らは、こんなところで何をしておる。」と、 岩崎中佐殿が一喝すると、2人組

は、二方向に別々に逃走し、 残念な事に取り逃がしたのでした。
 
そのうちの1人の後ろ姿が、見覚えがあったので、岩崎中佐殿は、上官の長澤海軍

大佐に報告し、2人組の1人は、6月18日に逮捕され、 いもずる式に、もう1人も

逮捕されたのです。
 
海軍の軍人は、ご婦人方の縁のない艦上生活のため、一人暮らしも多くいまして、

朝の8時過ぎは学校の授業などで、出払っていて、官舎は人通りが少ないのです。
 
 
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内部事情に詳しい人間の犯行であったのですが、 犯人の一人が、そのA氏と

いう男と海軍の退役した元機関水兵の男が、警察につかまったのでした。
 
立場が悪くなったのは、野元大尉で、 生徒倶楽部の昔の世話になったおばさんに

頼まれての親切心での、身元保証をして、そのA氏を世話したようですが、 とん

でもない事になってしまい、そんな野元 光康大尉の事を心配して、 校長の千坂 

智次郎中将は、話が大きくならないよう配慮し、 関係者に口止めしていたようで

した。
 
2人が逮捕されて、2ヶ月後、 地元の新聞に、2人の名前が出て、「 不届きにも、

海軍官舎に窃盗。」との見出しで、紹介されて、数日後、野元大尉は、カミソリで、

官舎で自殺されたのです。
 
当時の生徒には、原因不明で、 自殺されたことだけ発表され、 「立派な最後で

あった。」としか伝えられず、カミソリで自殺したというのは、随分たって、知ること

となったのでした。
 
 
 
 
【次回に続く。】