第736回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第735話 高橋 是清 内閣総理大臣の事。 2014年2月26日水曜日の投稿です。
【 当時の貴族院 】
西園寺 公望 元総理の推挙の高橋 是清 【たかはしこれきよ】 さんという人は、
山本権兵衛 海軍大将が、政界に入れたというか、 自身が内閣を組閣する時に、財政
金融の実務家と言うことで、 横浜正金銀行から、自ら話をして、大蔵大臣に推挙し、自ら
推挙して、当時の原 敬 議員の政友会に、数年前に入会したばかりの人で、 たしかに、
大蔵大臣としては、失敗、汚職、 など、おかしな噂も立たず、 立派な人材であったのですが、
自身で、汚いことをして、政治資金を集めて、 派閥を作り、 子分の議員に政治資金を分配
して、子分議員の選挙の面倒を見るというような、派閥の領袖とは、当時、違う人タイプので
あったのです。
海軍としたら、 良く存じ上げている人なので、ちょうど良い人であったのですが、 党内基盤を
持たない実務家に、 他の政友会の大勢の議員がついてくるかという、不安があったのでした。
しかしながら、 予算審議のことを考えると、 当時の原内閣の大蔵大臣であった、高橋 是清
さんを、内閣の閣僚をそのままにして、 名前だけの総理大臣にして、 政友会内の野田、床波、
山本 などの有力議員の話し合いで物事進めていこうと、こう言う調整案に、 海軍は同意するしか
なかったのでした。
内閣総理大臣の選挙をしていると、 すぐ年末になり、来年度予算審議のことを考えると
当時は、それが最良の方法であったようです。
根回しして、 みなさん、納得して、 高橋 是清 内閣総理大臣が、 大正10年11月
13日日曜日 良いお天気の秋晴れの日に発足したのでした。
当時の関係者のお話によると、政敵がいなかったのだそうです。 つまり、党内基盤を
持たない財政 金融の専門家で、 悪い事はしない、 きれいな人であったのです。
海軍は、この高橋 是清 内閣総理大臣を 暫定的な、総理大臣としている間に、
山本 権兵衛 海軍大将の頭の中には、 次の政局をどうしていくか、 加藤海軍大臣が
をどう守っていくか、 軍縮を実行すると、 多くの失業者と、 造船所の破綻、 造船所に
設備投資で資金を貸し出している、銀行の破綻につながっていき、日本はならくの底に、
沈んでしまうのでした。
にはどうしたらよいか、 ずいぶん当時は、心を痛めていたようです。
運命を左右する、重大な交渉が、大詰めを迎えていたのでした。
【次回に続く。】