第835回 パーナル、パンサー偵察機の古写真を考察する。
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2014年2月26日水曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは、鉛色の曇り空で、少し寒いお天気です。
今日のおままごとの紹介です。
じゃーーーーーん。 ♪ 今日は、少しですね、設備投資をしたのです。
これで1000円なのですが、手入れをしながら使うと、一生物です。
実は、近くのスーパーで、6個で100円でたこ焼きは販売していて、 作るより、
それを買った方が、安いのですが、 1度、勉強して見たくなったのでした。
生まれて、初めて作るたこ焼きは、どうなる事やら、 早速、実験の始まりです。
まずは、昆布で、出汁を取ります。
今日は、実験で、約50グラムあたりの粉に、 卵を二つ、 だし汁を、120CC
程度、こんな感じで、混ぜ混ぜしていきました。
ここでね、おねぎをスライスして、入れて見ました。
こんな感じで、いいのかしらん。♪♪
たこ焼きというのは、大阪の方で、昭和の初めに始まったそうで、なかなか
美味しいのですが、僕が自分で作ろうとした目的は、別の事があるのです。
たこ焼きだけでなく、エビを入れたり、アサリを入れたり、 色々あっても、いいのでは
ないか、チーズとか、 お肉とか、ソーセージとか、入れたら、美味しい物が出来るの
では、 もう少し自由な発想で、実験がしてみたかったのです。
それでは、生まれて初めて挑戦する、たこ焼きの実験の始まりです。
情報によると、8割程度液体を入れて、具材を入れるとあります。
ここで、大きな失敗をしてしまいました。 中の具材が大きすぎて、 タコ焼の
カナ型が、はみ出てしまいました。
熱い鉄板、 いまから半分にするわけに行かず、 おろおろしてしまい、
「えらいこっちゃ。」と、 独り言を言いながら、 上から押さえつけて、 押し込むことに、
タコは、5ミリ程度、 エビは3分の1、 アサリは、なんとかちょうど良かったです。
そして、上からもう一度、 液体をかけていきます。 手早くしないと
焦げると思い、 初めてすることは、なんだか段取りが良くないです。
マイナスドライバー風のもので、ひっくり返して行くのですが、 真ん中に、
差し込んでひっくり返すのと、 側面に差し込んでひっくり返すのどちらがよいか
実験して見たのですが、側面に差し込んで、 ひっくり返す方が、良いみたいです。
手前が、黒こげになってしまい、 急いで、ひっくり返して行きます。
みんな、ごめんねーーーーー、火が強すぎたのか、 黒ずんでしまいました。
生まれて初めての挑戦は、 黒こげにーーー。 しょぼんーーーー。
横にはみ出したのもあって、お世辞にも、良い形には、ならなかったのです。
1度、僕にだまされたと思って、宅配で取り寄せて、 お好み焼にかけてみてください。
ほとんど、このソースを使用しています。
ずいぶん、 良いのです。 ぼくは、おたふくの回し者ではないですが、評判が
大変よろしいのですが、 関東、東北、北陸、北海道では、販売していないようです。
今日は、魯山人風、椿文様小皿には、マヨネーズを、 呉酢赤絵の小皿には、
おたふくのソースを入れて、試食してみることにしました。
今日は、一緒に昆布とホタテ貝の味噌汁を作りました。
こんな感じで、出来上がりました。
じゃーーん、今日のたこ焼き定食の出来上がりです。
販売しているたこ焼きは、上からソースをたっぷりとつけてあるのですが、
今日は、出来たての熱々をすこしタレをつけて、いただくことにしました。
色々、写真は撮ったのですが、 マヨネーズをつけていただきますと、美味しい
ようです。
これは、アサリを入れたのですが、アサリを入れてもなかなか美味しいです。
エビも、アサリも、美味しいのは、美味しいのですが、 かみ応えは、タコには
及ばないですね、 でもね、変わった味で、なかなか楽しめました。
入れたり、ちくわを入れたり、 いろんなのを入れて、実験したくなりました。
今日は、すこし黒ずんだ、たこ焼きになったのですが、いろんなアイディアが
わいて来て、今後時間をつくって、勉強して行こうと思いました。
今日は、原価が300円程度、 作業時間30分程度の素人料理の紹介でした。
今日もとっても美味しかったです。
今日の模型公園の所有する古写真の紹介するコーナーです。
名前は、パーナル、パンサー艦上偵察機と呼びます。
偵察して、いち早く、敵の水上艦艇を発見して、陸上基地に戻ると、 こう言う発想の元に、
艦上偵察機が、設計され、作られていたのです。
この飛行機は、船に積めるように、分解できて、船上で組み立てて、 スロープから、
戻ったわけですが、 1915年頃、 ハロルド、ボラス と言う、イギリス人の人が設計して、
パーナル、アンド、サンズと言う会社が、製造したようです。 全体で155機生産され、
たようです。
当時、日本は、飛行機を輸入しても、パイロットがいなかったのです。 小説 昭和の伝道師
で、指導教官として、大金をはたいて、イギリス軍のゼンヒル大佐の教導団が、1年半
の期間で、来日して、日本人に操縦を指導するわけです。
どうも、その移動してきた船と一緒に、 この飛行機が12機輸入され、 この飛行機を
使用して、訓練が行われたようです。
着艦フックが無いなど、艦上偵察機としては、中途半端な作りでしたが、 分解して、
以後、日本海軍は、イギリス式の操作方法の飛行機を、採用していき、陸軍はフランス
の操作方法の飛行機を採用していき、 このことが、多くの障害を生んでいくのですが、
この大正10年に、 弾薬を統一するとか、 操作方法を統一するとか、誰かが
音頭を取って、 実行しておけば良かったのですがーーー、 残念な事に、そんなことは
実行されず、 陸軍の飛行機から、海軍の飛行機に乗り換えたり、部品の共通性が無く
工場も、2重設備、 パイロットも、同様で、2重行政の見本のようになっていきます。
今日は、今から93年前の、 古写真の紹介でした。
今日の模型のお話は、組み立てのお話です。
今日も、コックピットの組み立てを行いました。
こんな感じで、接着して。
今日は、画像容量が一杯になったようです。
それでは、良い水曜日の夜をお楽しみください。 ギッチョンパー♪