第757回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第756話  東宮殿下、摂政就任の事。         2014年3月19日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
   大正10年11月25日の金曜日、 高松宮殿下一行と、私達海軍兵学校の第二陣生徒を
 
乗せた戦艦 摂津【せっつ】が、伊予灘に体験航海をしていたその日、 東京の宮城【現在の
 
皇居の事】では、東宮裕仁殿下【 とうぐうひろひとでんか 後の昭和天皇の事】の摂政就任の
 
儀式が執り行われたのでした。
 
 
 
 
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  天皇統帥権を主張して、まったく、内閣の方針に従わない陸軍をなんとか、コントロールしよ
 
うと、原 敬 内閣総理大臣と、 内田 外務大臣が、進めていた、皇太子殿下の摂政就任は、 
 
原 敬 内閣総理大臣が暗殺され、 計画が頓挫しかけたのですが、当時の高橋 是清 内閣
 
総理大臣を、うしろから押し上げて、東宮摂政就任を実現させたのは、海軍の実力者 山本 権兵衛
 
 海軍大将とその一派だったのです。
 
 
 
 
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  実は、山本 権兵衛 海軍大将達は、 国内産業育成の為、原 内閣総理大臣の政友会と
 
組んで、数年にわたって、イギリスに発注していた軍艦の建造を、日本国内で建造していこうと
 
、 そうすれば、外国に出て行っていた、外貨が、日本国内に流れ、 鐵鋼、石炭、造船、銀行
 
など、その資金で、大きく潤い、その資金を税金で徐々に国庫に回収して行こうと、こういう政策
 
を進めていたのですが、残念な事に、欧米の金融圧力に屈して、軍縮条約を結ばざる終えなくなり、
 
 自ら育成した、造船業界を、又、 衰退させるような政策を行わざるおえなくなったのです。
 
 
 
 
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   みなさんもそうだと思いますが、 汗水たらして当時、進水式をしたら、 不要になったので、
 
 解体しろとか、 工事は中断しろとか、そういう船が多く出ていくのです。 戦艦 加賀、 赤城、
 
 天城など多数の事業に及んだのです。 銀行からお金を借りて、造船所の設備投資をして、
 
 大勢の労働者を抱え、 鉄などの材料を発注して、 建造している途中に、 もう必要ない、
 
 あとは、何とかしろと、途中で言われると、 借入金の多いところから倒産してしまいます。
 
 
 
 
 
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企業経営者としたら、 いろんなつてをたどって、何とかしようとするのは当たり前で、そこで、
 
問題となってくるのが、軍縮条約反対派と呼ばれる海軍内の反山本勢力、 財閥、 造船業
 
族議員などの多くの勢力が、軍縮条約反対で団結した場合、 その人達を、山本 権兵衛 海軍
 
大将は、自身で押さえきれないと当時は、考えていたようです。
 
 
 
 
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  そこで、病気で寝たきりの大正天皇に代わって、東宮 裕仁殿下に摂政に就任していただき、
 
勅令を発して、 反対派を押さえつつ、なんとか、せっかく育成した造船業界を、なにがしかの方法
 
でなんとか残していけないかと、こう言う考えであったようです。 
 
 
 
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    そのような中、 戦艦 摂津は、江田内に入港し、 私達は、夕方 兵学校の船着き場に、
 
   戻ったのでした。
 
   「 いゃーーーー今日は、なんちゅうか、 ええ日やった。」と、 分隊のみんなと話していたの
 
   ですが、 兵学校に戻られた、 教頭の長澤 直太郎 海軍大佐殿に、海軍省からの命令
 
   電報が届いていたのでした。
 
   そこには、 「 ヘイガッコウ カンジチョウ キョウトウ ヲ メンズ  センカン イセ カンチョウ
 
    ヲ メイズ   。」 とあり、 12月1日から戦艦 伊勢の艦長への転勤の辞令であったのです。
 
    11月から12月というのは、海軍では人事異動の季節であったのです。
 
 
 
【次回に続く。】