第788回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第787話 海軍兵学校 山口 博 生徒の事。 2014年4月19日 土曜日の投稿です。
大正10年の12月3日土曜日の午後、 私達は、2時間の自由時間をもらって、広島県
の呉市内を、郵便局を探して、歩いていたのです。
実は、私達の分隊の全員が、地方からのというか、よその県の、出身で、呉も、
今年になって、 8月に、1度通った程度の感じで、 呉市内に何があるか、わからなかった
のです。
呉鎮守府の、衛門の水兵に尋ねようかと、 福元 生徒が言うのですが、 今川生徒が、
「 そのような事をしたら、 呉鎮守府に、検閲を通さずに手紙を出そうとしているというのが、
知られてはまずい。」と、言うものでありますから、 取り合えず、 線路沿いから山側の
北側に歩いてみようと、 言う事になりまして、 ぞろぞろと、歩いて行ったのです。
福元 義則生徒が、「 ほいこら、あそこに、 郵便のマークがごあんど。」と、言うものです
から、左10時方向を見ますと、路面電車の向こう側の、白壁に、緑筋が入った、3階建ての
建物の一階に、郵便局があるようでしたので、 私達は、そこの前にあつまったのですが、
井上 武男生徒が、「よく考えてみると、 筆記用具もなにも持って来ていないので、
手紙が書けないだっぺや。」と言うので、 「 そうやーーー、どないしょーー。」と、
私達は、その場で、どうしようかと、考えこんでしまったのです。
「 ギィギィギィーーーー。」と、音をたてて、とまったのでした。
中から、源田が【 源田 實 生徒 後の参議院議員】 電車から、数人の生徒ともに、降りて
きて、 「 わりゃぁ、 淵田生徒、 そこで、おみゃーー、なにしょうるんならーー。」と、言うので、
私が、 「 いゃーー実はやなーー、葛城の家に、手紙を出したいんやが、 筆記用具を、兵校から、
もってこなんだんや。」と、言うと、 頭の回転の速い彼は、 「 そんぎゃーなもん、そのへんの
文房具屋で、買えばえかろーーがのーー。」と、言うのですが、 兵校の、監事に、呉市内で、
文房具を買い求め、 内々で、手紙を郵送したことが露見しますと、 制裁訓練に発展することは
目に見えているので、 買うのをためらっていたのです。
すると、源田と一緒に歩いていた、山口 博 生徒 【 海兵52期卒 後の海軍大佐 広島1中卒 】
が、 「 そこの郵便局に知り合いの人がおりますけえ、 ちょっと、まちょうてつかあさいや。」と、
言って、 郵便局の中に、入って行き、しばらくしたら、出てきて、「 みんな、はようこっちにきんさ
いや。」と、言って 私達は、郵便局の中に入ったのでした。
すると、 山口 博 生徒が話をつけてくれて、 便箋やら、絵はがきやら、用意され、 筆記用具も
郵便局で、貸していただけることになったのでした。
源田が、 「 おみゃーらーー、 もうすこししたら、正月休みジャー言うのに、手紙なんぞ、ださんでも
えかろーーに。」と、言うのですが、遠隔地の我々からすると、 本音の事を書いて、送れるという
のは、 有り難いことだったのです。
私は、 どない書いて送ろうかと、 考えていると、 となりの井上 武男生徒の書いている
手紙をのぞいて、 「 はぁーーっ、 かあちゃん、 正月に、茨城に戻ったら、朝ゆっくり
足を伸ばして、 頭から布団をかぶって、ねたいだっぺ。」と、 井上生徒の書いていることを、
源田が読みあげると、 山口 博生徒が、 「 そりゃーー、絶対、間違いなく検閲に引っかかって、
ぼつになりそうじゃのう。」と、嬉しそうな顔をして、 言うので、郵便局の人も、クスクス笑うので
ありますから、井上 武男生徒は、赤い顔に、なってしまい、 私達は、「 そりゃ、そうや。」と、
大笑いしたのでした。
監事附に怒られるのです。」
この、山口 博 生徒は、源田と同じ、広島第1中学の卒業で、私達と同期の海軍兵学校
第52期生徒で、 語学などが優れていて、 通信の分野に進んで、以前紹介した、
広島県の吉舎の日彰館 中学卒の黒田 吉郎生徒は、大和の砲術長、 山口 博生徒は、
大和の通信長として、沖縄に出陣して、 昭和20年4月18日 山口 博 海軍中佐は、
巨艦 戦艦 大和と運命を供にして帰ってこなかったのです。
広島弁で、 親切で、 語学が堪能で、頭が良く、海軍内での進む方向は、違っておりまし
たが、 良い生徒でした。 戦後、生きていたら、 通信の分野で、 それなりの成功を収め、
知られた人物になっていたと思います。
【次回に続く。】