第816回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第815話 海軍兵学校 江田島の矢野のようかんの事。   2014年5月17日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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   大正10年12月24日 土曜日の事、 私達は何度も服装検査を行い、やっと帰省の許可が
 
   おりまして、 娑婆【しゃば 兵学校の外の事】に出られたのでした。
 
   私は、江田島の中に、当時、矢野 という羊羹【ようかん】屋がありまして、まっ、そこが兵学
 
   にようかんを納入していたのですが、そこで、羊羹を買い求めまして、 8月にお世話になった、
 
   小用の 三谷の婆さんの家を訪問し、 預けてある本などを、受け取って、帰りの鉄道の客車の
 
   中で預けてあった本を読もうと、こう言う予定であったのです。
 
 
 
 
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   井上生徒と、福元生徒が、一緒に広島まで行こうというので、 羊羹を買いに行くのと、
 
   どちらにしろ、小用の港の船乗り場は、生徒の順番待ちで、長蛇の列で、随分待たないと
 
   いけないはずで、そのような話をすると、 二人ともみやげにするので一緒に買いに行くと言う、
 
   三人で、雑談をしながら歩いていると、 小池 伊逸 生徒【 後の連合艦隊水雷参謀】と、
 
   源田 實 【 後の航空幕僚長 参議院議員】が、追いかけてきて、又々一緒になり、
 
   5人で、矢野の羊羹屋に行ったのでした。
 
 
 
 
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    矢野の羊羹屋で、 源田が、 「 おい、 江田島では、腸チフスがはやっているとか、
 
    兵学校で聞いたんじゃが、 ここは、だいじょうぶきゃーーの。」と、聞くと、おばさんが、
 
    「江田島のこの辺は、大丈夫ヨーー、変な病気の人は、1人もおりゃーせんけえ。」と、
 
    言うので、私達は、安心して、羊羹を買い求めたのです。
 
 
 
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          考えて見ると、日持ちがするので、お土産にも良いですし、 途中、腹がすいたら
 
           食べても良いですしと考えて、少したくさんかいました。
 
          すると、私達の後から、 後を附いてきたのか、 今川生徒など、東京の出身の
 
           生徒達がぞろぞろ続いて入ってきて、 矢野の店の中の羊羹は、あっという間に
 
           売り切れてしまったのでした。
 
 
          
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         私達は、早めに羊羹を買いこんで良かったと、 ほっとして、少し買いすぎたの
 
         ですが、自己満足して、一路、東側の峠道を小用の港を目指して、歩いたのでした。
 
 
 
【次回に続く。】