第819回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第818話 海軍兵学校 正木 生虎生徒の事。 2014年5月20日火曜日の投稿です。
私達は、小用の町中の路地を歩いて、海岸沿いに出て、 桟橋のほうに急いだのです。
海軍兵学校の数百人近い生徒などが、船着き場に押し寄せたので、長蛇の列となるの
ですが、 三谷家に行っている間に、少しは数が少なくなっていたのです。
私達が、列の末尾にならびますと、 まだ、兵学校の方から、生徒が、どんどん
到着してきて、 あっという間に私達は、真ん中程度になってしまいました。
一人でも不合格が出ると、 30分後に、再検査となるのです。
これが、許可が出ませんと、門から外に出られないわけで、 到着している生徒は
やっとのことで、 監事附どのから、服装検査の合格の許可をもらって、歩いて
きたようでした。
と、話していると、すぐ近くの列の中で、 「 正木生徒は、帰省いうても、呉だから
近くでよいなーー。」と、そんな会話を耳したのです。
私達は、 つい最近、呉の鎮守府で、 参謀長の正木 義太 海軍少将のお話を
聞いたことは紹介しましたが、 「 ははぁーーー、正木閣下の私と同じ虎年の
明治35年生まれの息子とは、この生徒の事かと、当時思ったのでした。
思うと同時に、 源田が、 正木 生虎生徒の前に行って、 敬礼して、「広島1中の
【現在の 広島県立 国泰寺高校の事】源田 實であります。」と、挨拶するものですから、
見ていますと、「 おうーー、貴様も広島県の生徒か。」と、にこにこされまして、「 貴様、
背恰好が小柄だが、明治何年生まれか。」と、 聞かれまして、「 高松宮様と同じ、 明治
37年の生まれであります。」と、返事をするので、正木生徒は、びっくりして、「 ほんま
きゃーーおみゃーー、17才で、兵学校に合格したんか。」と、目を丸くしたのです。
これを聞いた、私もびっくりして、 私は、源田は、小池君と同じ、1歳年下と思って
いたのですが、 2歳も年下だったのには、びっくりしたのです。
戦後の現在で言いますと、高校2年生で、 3年生を飛び越して、東京大学より
倍率の高い、海軍兵学校に入学してきたことになり、正木 生虎生徒や、 周囲の
第51期の先輩生徒達は、「 ほうーーーーー。」と言うような顔つきで、源田を
見つめたのでした。
頭の回転が速く、目立つ生徒でした。
【次回に続く。】