第825回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】
西条方向に東に進んでいたのでありました。
聞いてみますと、 私の前に立っていた、同じクラス【学年】の黒田 吉郎生徒も、一浪して、
明治35年生まれの虎年ときいて、 私は、自分の連れ添いが増えたと思い、大変喜んだの
です。
みなさんは、経験がないかも知れませんが、浪人して、 年下の学年に入りますと、そうでもない
ささいな言葉が、心に突き刺さると言いますか、 同じ年の上級生に、軽く見られると言いますか、
大変いやな思いをするのです。
そこに来て、 同じ52期のクラス【学年】で、黒田 吉郎生徒が、同じ年と言う事がわかり、随分
道連れが出来たと感じて嬉しかったわけです。
入ったところの、当時は世羅郡甲山町三川村と呼ばれていた地域の出身で、黒田 吉郎
生徒は、そこから、さらに1時間程度、北に上がった、 山間の盆地に、川が流れていまして、
その川のそばに、 吉舎町という町があり、日彰館中学という学校がありまして、そこの
卒業生でありました。
私と一緒で、海などはなく、 海で泳ごうにも、泳げないわけでして、赤帽も仕方がないの
でありました。
鉄道の客車の中で、 これから先、 軍縮で、軍艦が減らされ、人員が整理され、
多くの将校、佐官が、整理の対象となり、予備役になる事が予想され、兵学校を出て、
海軍の中で、どのような事に取り組んでいくのかと言う事が、話題になったのです。
となりの席の小池君は、 大型艦の建造が規制されると、艦艇が、小型化していき、
潜水艦の時代が到来するのではないかと言い、 扇生徒は、 語学を勉強して、
駐在武官として、外国の大使館に赴任して、見識を広めるのが良いのではないと、
【水上機動兵力の重要性を力説した、 安田 義達 海軍中尉 のちの海軍中将
海兵46期卒 広島県府中市出身 】
そんなお話をされたのですが、 安田 義達 海軍中尉殿は、その話を腕組みして、静かに
聞かれていたのですが、最後に、 「これからは、水上機動兵力が大切になる
時代が必ずや到来する。」と、私達の前で、お話をされたのです。
なんやろかと思い、 小池君や、他の生徒と、安田海軍中尉のお話を聞いたのでした。
【次回に続く。】