第927回 日本陸軍 1式砲戦車完成就役。
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2014年5月29日木曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは、晴天ですが、中国からの黄砂と汚染物質が
飛来して、 洗濯物などは、干せないような、 ほこりっぽい1日でした。
今日のおままごとの紹介です。
【 あこうの刺身と二日酔い汁定食 模型公園風 】
今日は、エビで、実験して見ます。
今日は、バターを引いてね、エビを炒めます。
バターの香りがして、 美味しい感じです。♪
こんな感じにして、 白菜の唐辛子漬けを、入れてね、
こんな感じで、出来上がりです。
こんな感じで、一皿出来上がり、 ここまで、約5分です。
今日はね、二日酔い汁を作ります。 シメジ、納豆です。
作業は簡単で、納豆を入れて、納豆の附属の汁を入れてね、シメジを入れて、
お味噌で、味を調えて、二日酔い汁の出来上がりです。
今日は、あこうの刺身で、 もみじおろし醤油でいただきます。
じゃーーん、 今日のあこうの刺身と、二日酔い汁の定食の出来上がりです。
あこうという魚は、 ハタの仲間でね、岩場に住んでいて、 大きな口の魚です。
かみ応えは、文章で表現するのは、難しいのですが、 あえて例えると、イカの
刺身程度のかみ応えの堅さです。
味はね、 薄味で、 口の中に入れると、 微妙な味があります。
白身の魚は、マグロのように、赤身の魚とは違って、 微妙な薄い味が
程よいですね。
二日酔い汁というのは、 酔っ払って、がんがん頭が痛いときに、飲むと、
美味しいという、納豆の味噌汁のようなお汁です。
なかなか、独特の味で、 美味しかったです。
みなさんも、1度よかったら、 実験して見てください。
今日は、エビで白菜の唐辛子漬けを和えてみました。 エビがぷりぷりして、
なかなか美味しそうです。
辛子がきいていて、 御飯が進みました。
唐辛子で、舌がしびれる前に、白身の刺身を食べてしまい、
広島県の日本農園の柔らかいボストンレタスに包んでいただきます。
レタスが、しゃきしゃきした後、 漬け物の味がして、エビのバターの風味が
して、なかなか美味しかったです。
今日は、原価が600円くらい 作業時間15分程度の素人料理の
紹介でした。
今日もとっても美味しかったです。
模型公園が所有する、古写真を楽しむコーナーです。
生徒の作品も展示してあったようです。
中央の毛筆の字、 良くかけていますね、天皇陛下さんに見てもらおうと、一生懸命
練習して書いたようです。
それから、江田島の特産品の紹介などのコーナーも当時は、あったようです。
正面左右は、 い草のようです、 手前は、畳表の展示品と思います。
それから、自動車や、機械などの、産業製品も展示してあったようです。
すこし、写真が、遠くなので、 近くで、当時の絵など、見て見たいですね。
明日からは、 午後の日程の写真の紹介をしていきます。
模型公園の模型のお話です。
日本陸軍 1式砲戦車 2014年5月29日 木曜日完成就役
1式砲戦車というのは、 通常の戦車とは違い、 移動式の自走野砲でした。
今までは、牛や馬で野砲を牽引していたのですが、 昭和12年制式の97式戦車の
車体の上に、 昭和5年制式の90式、75ミリ野砲を載せた物でした。
1度射撃すると、 相手に場所が特定され、 砲撃や、空爆にさらされるため、 キャタピラで
高速移動して、 陣地替えをして、 また射撃するという、 そういう用兵構想によって
昭和15年に計画されました。
野砲の発射時のガスと煙で、目が明けられなくなる程度、煙たいので、 オープントップ
で、 後は、なにもないのです。
装甲板で囲むと、 煙たくて、息が出来なくなるそうで、 こういう、後、天井は、なしです。
この戦車、 太平洋戦争開戦前の昭和16年5月に、試作車が出来ていたのですが、
放置され、 昭和18年11月から、日立製作所で、138両生産され、輸送船で
運ばれたのですが、 ことごとく、潜水艦、航空機に撃破され、海底に沈み、
ルソン島の戦車第2連隊の4両は、 ずいぷんと活躍したようで、 撃っては
場所を変えて、 転進し、 また、撃っては、 移動して射撃する。を繰り返し
活躍したようです。
みなさん、 後部に、拳引用のシャックルが、左右ついていますが、 ここに、
ヤシの木の葉とか、現地調達の木を色々、縄で括りつけて、 引っ張るのです。
どういうことかというと、 木を引っ張って、 キャタピラの跡を消すのです。
爆弾を投下したり、 ロケット弾を発射して、 地上支援するのですが、その対策で
あったようです。
陸上自衛隊の機甲科の人にも、戦訓を参考にして、 富士の火力演習などでも、
武装ヘリなどの航空機対策として、やって見ていただくと、良いと思います。
この戦車、 距離が500メートルで、 アメリカ軍のM4シャーマン戦車の正面装甲を
鉄鋼弾で、撃ち抜けたそうで、 もう少し数があれば、 随分と、戦況が変わった
のではと推測します。
結局、米内 光政 元総理と、 山本五十六さんと、井上成美さんが、ドイツとの
同盟に反対し、 海上補給の難しさを、力説して、戦争反対を叫んでいたのですが、
の経済制裁につながっていきます。
そして、日ソ不可侵条約を、締結していくのですが、 見通しが甘かった、
海の自然を、わかったつもりで、知らなすぎたと、思っています。
1式砲戦車のように、 輸送船が撃沈されて、 物資が届かない、 入って来ない
兵糧攻めのようになっていったわけです。
様にお考えの人が多いですが、 大きな間違いで、ここを封鎖すると、日本に
石油などが、大戦中のように、入って来なくなるのです。
今後、何らかの手を打っていかないと、 この海域を封鎖されたり、日本のタンカー
が撃沈されたり、拿捕されたりするとーーーー、 1度考えて見ていただくと
良いと思います。
それではみなさん、良い木曜日の夜をお楽しみください。 ギッチョンパー♪