第928回 日本海軍主計学校カレーライス復元 模型公園風

みなさん、こんばんは、模型公園です。       2014年5月30日 金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
                   今日の模型公園の家の近くは、晴天で、暑い程度でした。
 
 
 
                  今日は、金曜日、 カレーの日です。
 
 
              【 日本海軍主計学校のカレーライスを復元する。】
 
 
 
 
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           海軍主計学校というのは、現在の海上自衛隊の艦船で言えば、第4分隊
 
           の補給長、栄生長クラスの将校を専門的に養成する学校で、元 内閣総理
 
           大臣の中曽根 康弘先生の母校としても知られています。
 
 
 
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            本日は、その主計学校のカレーの再現の実験をしてみようと思います。
 
 
 
 
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            必ず登場するのが、リンゴでして、すり下ろし、 細かくカツトしまして、
 
            カレーの中に入れます。
 
            りんごは、長期間の保存が可能で、 栄養があり採用されたようです。
 
 
 
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          海軍主計学校の卒業者が、各部隊の計理や、料理などの部門の担当責任者
 
          となるので、 昭和初期の 軍艦カレーライスの基本の様なカレーです。
 
 
 
 
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              こう言うリンゴなどを、カレーに入れると、甘い感じになります。
 
 
 
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            今日は、リンゴが多いので、超過分は、デザートにしました。
 
 
 
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                  そして、 必ず登場するのが、たまねぎ です。
 
             たまねぎも、長期間の保存が可能な食材で、 採用されていたようです。
 
 
 
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            海産物のあさりと、玉葱です。 これが主材料です。
 
            あさりは、缶詰になっているのを、開封して使用していたようです。
 
            当時、缶詰会社が海軍省の後援で、各地に出来、 北は千島列島、
 
            樺太などから、 下は、台湾、サイパンまで、存在していたようです。
 
 
 
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           バターと、ショウガを入れまして、 蒸気をあげて、炒めます。
 
           当時は、ほぼすべての艦艇が、 蒸気を使用しての炊事だったようです。
 
 
 
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              バターと、ショウガのよい香りが、してきました。 たまねぎが透明になったら、
 
               火力を落とします。 「 微速前進、 赤 3回転 程度です。」
 
 
 
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                            ここであさりを入れます。
 
 
 
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            別のお鍋に、昆布、 鰹節で出汁を取り、 味噌で味を調えた、だし汁を
 
            少量作って、 鍋の中に入れます。
 
 
 
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              そして、りんごと、すりおろしを入れ、海軍省指定のチャツネを入れます。
 
              現在の市販のチャツネは、甘いジャムのような品ですが、 当時のチャツネは、
 
              イギリス風の辛子ジャムの様な物でした。
 
              これをたくさん入れると、辛くなり、 少ないと、 リンゴの甘いカレーに
 
              になって行きます。
 
 
 
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              こうして、味を見ながら調整して、 こんどは海軍省指定のココナツミルク
 
             を入れていきます。
 
 
 
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          海軍省指定のココナツミルクは、 粉ミルクのような物だったようです。
 
 
          ココナツミルクを入れると、色が白っぽくなっていきます。 ここも様子を見ながら
 
           添加していきます。
 
           そして、とろみですが、様子を見て、 麦粉をいれて調整するとあります。
 
 
 
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            それから、ライスは、かっけ防止の為、 必ず、麦を混ぜていたようです。
 
 
 
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         このような感じで、 将校は下士官に命じて、水兵を動かして、 駆逐艦ですと、
 
         約300食、 巡洋艦ですと、約1000食、  航空母艦の赤城ですと、1600食
 
         程度、分業して作っていたようです。
 
 
 
 
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          そういうわけで、大きなお肉が入っていたり、 ジャガイモ、にんじん、その他の
 
          物を入れたり、 ワインを入れたり、コーヒーを入れたり、 そんなことは、
 
           戦後、 高度成長期に考えられた物の様です。
 
 
 
 
 
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            じゃーーん、 今日の海軍主計学校 ノーマル教科書カレーの出来上がりです。
 
 
 
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           このあさりカレー、戦前では、 あさりから良い出汁が出ると言う事で、
 
           艦船の中では人気があったようです。
 
           そして、当時は毎週土曜日に、カレーを食べる風習であったようです。 
 
 
 
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        結局、大きな容器に、部隊事にまとめて配布して、 当番兵が、 順番に、配膳して
 
        いたようで、現在のカレーより、流動性があって、汁かけ御飯風の感じでした。
 
 
 
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           今日は、原価が150円程度、  作業時間 30分程度の素人料理の
 
           紹介でした。
 
           保存のきく食材を使用して、多くの部隊に配給していくのには、ちょうど良い
 
           レシピであったようです。 
 
           このことは、現在のお店で店頭販売するのにも、都合の良いカレーで、
 
          これを基本に、少し応用して、カレーを作り、 【 日本海軍 軍艦カレー】と、名前
 
          をつけて販売すれば、本歌の日本海軍 軍艦カレーとなります。
 
 
 
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                      今日もとっても美味しかったです。
 
 
 
 
 
 
               今日の模型公園の所有する古写真を鑑賞するコーナーです。
 
 
 
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          当時、昭和天皇のご予定は、1125時に参考館の見学を終え、 5分の移動時間で、
 
          1130時着で 休憩所に入られる予定であったようです。
 
 
 
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          真ん中の前屈みの人は、後の内閣総理大臣、鈴木 貫太郎海軍大将で、
 
          その後が、天皇陛下のようです。
 
 
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           道路の周辺、良く掃除がしてありますね、 担当の生徒は大変であったと
 
            思います。
 
 
 
 
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              みんなそ゜ろぞろ歩いて登られて、 休憩所に到着されたようです。
 
 
             明日も続きを投稿する予定です。
 
                  
 
 
 
                         今日の模型のお話です。
 
 
 
 
 
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         日本海軍 航空母艦 赤城 №17  2014年5月30日  完成就役
 
 
 
 
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            今回は、 ミッドウエイ仕様で、1ミリ×2ミリの防弾ハンモックを85個ピンセットで
 
            取り付けました。
 
 
 
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                   「 ブゥーーーーー。 発艦準備命令、 作業急げ。」
 
 
 
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             「 ウィーーーん、チンチンちんちん、 エレベーターあげ方、よろしい。」
 
 
 
 
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         ここで、利根4号機から、電信が入り、「敵らしきもの見ュ。」と、偵察機からの
 
         情報が入り、混乱していきます。
 
 
 
 
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           飛龍 第2航空戦隊司令官から、発光信号有り、「 ただちに、発艦の必要有りと
 
          みとむ。」と、 意見具申があったのです。
 
 
 
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           事実上、作戦を立てて、部隊を動かしていた、第1航空戦隊の参謀長 草鹿
 
           龍之介 海軍少将は、 戦後のお話ですが、当時随分悩んだようで、
 
           相手の兵力がわからず、 目隠しをしたまま、防戦一方となっていったと、
 
           「 一生の不覚。」と、 語られています。
 
           当時、 索敵を軽く考え、 そのつけが、最後まで、脚を引っ張ったようです。
 
 
 
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          そういうわけで、珊瑚海海戦、 ミッドウェイ海戦は、偵察の計画の立案が、
 
          甘かった、 この一言に尽きるようです。
 
          おまけに、再度飛んで、偵察にいった蒼龍の偵察機は、電信発信器が故障し、
 
          連絡が出来ずとーーーー、不運が重なりました。
 
           陸用爆弾を、 艦船用鉄鋼爆弾、 魚雷に取り替えて、 「 準備よろしい。」
 
           「 風上に向かって、 第5戦速、  よーーそろーーーー。」と、発令し、
 
 
 
 
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          「  第2次攻撃隊、 発艦 はじめーーい、 全員帽子ふれーーぃ。」
 
          と、みんな、零戦の姿に気とられていると、 ーーーー 
 
 
 
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        そして、雲の切れ目から、 アメリ急降下爆撃隊が、姿を現したのでした、
 
 
         「  直上   急降下ーーーーー、 対空戦闘ーーーっ。」と、 叫んだときには
 
          遅かったのでした。    
 
 
           その後、日本海軍は、2段索敵、3段索敵など、 偵察について、研究していく
 
          ことになります。
 
 
          今日は、航空母艦 赤城  ミッドウェイ仕様の完成のお話でした。
 
 
 
 
 
 
それではみなさん、良い金曜日の夜をお楽しみください。         ギッチョンパー♪