第830回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第829話 大正10年12月末の五条の町の事。    2014年5月31日土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
イメージ 1
 
 
 
       私達を乗せた、鉄道は、夜中も給水、補給しながら、コトン、コトンと音をたてて、
 
       翌早朝には、大阪駅に到着し、 私と、小池 伊逸 生徒 【後の連合艦隊水雷
 
       参謀 海軍大佐】 は、天王寺停車場経由で、郷里奈良駅を目指したのです。
 
       当時、 一夜、ずっと鉄道の客車に座っていますと、お尻が板の様になるわけですが、
 
       家に帰れると思いますと、それほど苦になりませんでした。 
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
            鉄道は、藤井寺を過ぎたあたりから、ぐっと、山中に入っていきます。
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
         私達は、大阪駅で買いました、お弁当を食べながら、「 もうすこしやがな。」
 
         と、 楽しく、朝食をとりながら、 鉄道の旅を楽しんだのです。
 
         大正10年当時、 鉄道は奈良駅までしか、線路が無く、 その後、数年して、
 
         戦後、私が住んでいました、橿原神宮駅まで、伸びることになります。
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
           やっと奈良駅で下車しまして、 小池君と、来年の待ち合わせを約束して、
 
            別れまして、 一路五条の町を目指して歩いたのです。
 
 
イメージ 5
 
 
 
        当時私は、大日本帝国、一種軍衣 という、紺色の制服を着ていたのですが、
 
        道行く人が、「 ほうーーー。」と言うような顔つきで、こちらを見るわけです。
 
        ずいぶんと、気持ちの良い物でして、 私は風を切って、郷里の葛城村のある
 
        南方向に歩いたのです。
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
           そして、しばらくしますと、橿原神宮が見えてきたのでした。
 
           江田島で、早朝から、たたき起こされ、 つらい日々を送っていたのでありますが、
 
           奈良に戻りますと、 そんな苦労は、消し飛んで行ってしまいました。
 
 
【次回に続く。】