第854回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第853話 海軍兵学校 木梨 鷹一生徒の事。
2014年 6月24日火曜日の投稿です。
私は、 先輩の1号生徒の上杉 義男生徒 【海兵50期卒 駆逐艦 弥生、沖風、
潮、峯雲などの艦長を歴任、 海軍大佐】 の前に行きまして、おそるおそる、「この
度、上杉生徒殿の当番を、中俣 分隊伍長殿から、仰せつかりました、 第52期
生徒、 淵田美津雄であります。
どうかよろしくお願いいたします。」と、 九十度に、頭をたれまして、 ご挨拶申し上
げたのです。
どうして、おそるおそる、 挨拶申し上げたかと言いますと、意地の悪い人ですと、
下着、 特に、ふんどしなどを、当番生徒に洗わすわけです。
一度洗って、乾かしまして、 出来上がりましたと、持参すると、「 気持ちがこもって
おらん。」と、何回も、何回も、突き返して、 洗濯させて、 困らせて楽しむ人が、
前の分隊では、多かったのです。
私は、今回は、 成績が下位のぼんくら分隊なので、 難しい人であったら、どうしよ
うかと大変心配していたのでした。
すると、上杉生徒殿は、 「 おう、 おみゃーか、わしの当番は、どっからきたん
か。」と、聞かれたので、「 先ほども自己紹介しましたが、 奈良県の畝傍中学を
卒業いたしまして、 一浪して、 やっと合格して、去年入学してまいりました。」
と、 ご返事申し上げますと、「 わしゃーのーー、福山言うところの、誠之館中学
の首席で卒業して、 この兵学校にはいったんじゃがーーー、見ての通り、番号、
成績が今ひとつじゃ、 わりゃ、何か困ったことがあったら、兄弟が一人増えた
思うて、 なんでも相談しにこいや。のうーー。」と、 声を掛けていただき、 多いに
安心したのです。
続けて、「 じゃけどのうや、 見ての通りの成績じゃ、 頼りにならんのう。」と、
こんな話をされるので、となりにおられた、分隊伍長補の作間 英邇 生徒【後の
上杉生徒、貴様、しっかりせんか。」と、言われたのを記憶しています。
を実行し、切り込みをかけ、砲雷戦の末、善戦し、アメリカの艦船を3隻、撃沈する
のですが、又、順番に紹介して行きたいと思います。
私が、上杉生徒殿と、 お話ししていますと、 上杉生徒殿の顔色が、急に厳しく
なり、私は、「 なんぞ、変なことでも、粗相があったんかいな。」と心配したのです
が、「 こりゃーー、木梨、わりゃ、こんなーー、また、、51期の生徒の中で、ビリケツ
じゃったそうじゃなーか。」と、 2号生徒の 木梨 鷹一 生徒が、指導を受けたの
でした。
木梨生徒は、私と同じ明治35年生まれの一学年先輩の2号生徒でした。
最後尾の生徒でありました。
ゴルフのスコアーで言いますと、メーカーと言うところでした。
木梨生徒が、 都合の悪そうな顔をしていると、 作間分隊伍長補殿が、「 貴様、
かんばらんと、軍縮整理の対象となるぞ。」と、 指導されていたのですが、
この時が、木梨 鷹一 海軍少将殿との初めての出会いでありました。
功績を立て、 ドイツまで往復の単独航海を成功させ、ドイツからジェットエンジン、
ロケットエンジンの設計図を持ち帰ることが出来たのは、この木梨 鷹一海軍
小将と、その統帥下の部下達の功績でした。
名前の通り、 鷹 の一番であったのです。
【 伊二九 の艦橋後部で、 下段中央 木梨海軍中佐 】
当時は、 落第との境で、 浮き沈みしていて、天皇陛下にお目通りをゆるされる
軍人になろうとは、上杉生徒殿も、私も、想像もしていなかったのでした。
【次回に続く。】