第856回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第855話 海軍兵学校 艦艇洗濯の事。 2014年6月26日木曜日の投稿です。
後から、「 おう、 井上生徒。」と、声をかけようとしたところ、 洗濯物を、パチンと投げつけ、
立ち上がり、 水桶を蹴り飛ばして、 ゴロンコロンと、転がっていき、 洗濯板を投げて、「 あーー
もーーーーーーう、いやになったぺゃーーー。」と、 大声を出したのです。
他の洗濯していた生徒は、1号生徒だけであったので、 みんな、 「あーー、はじ
まった。」というような目付きで、見とがめる人はいなかったのですが、 こんな所を
上級生や、監事附き殿達に、見られたら、後が大変です。
私は、「 おい、 井上生徒、 どないしたんや。」と、 声を掛けたのです。
上級生の下着、 特にふんどしの洗い方が、良くないと、 10数回、 突き返され、
今回の事態となったようで、 当時は、 難しい上級生が、多かったのです。
なにしろ、娯楽はない、 戦後の現在のように、テレビもない、マンガもない、
なにもない、こんな感じでありますので、 過去に自分達がされたのでしょうが、
下級生に、難しい因縁をつけて、 おもしろがっている先輩生徒が多かったのです。
多いいのが現実でありました。
みなさんに、海軍の洗濯とは、どのような物かと紹介しますと、 艦艇生活におきまして、
そうですね、 私が乗り組んでいました、航空母艦 加賀を 例にしますと、 乗組員は
艦長以下、 末端水兵に至るまで、1700名近い人が乗り組みまして、好き勝手に、水を
使いますと、莫大な水量になるわけです。
【 空母 加賀 かが 昭和3年 就役 横須賀海軍工廠 】
そういうわけで、 海軍では、艦艇におきましては、真水の配給は、一人1日
三合までと決まっていまして、 それ以上は使えなかったのです。
お風呂も、海水、 洗濯も、通常の洗濯方法とは、随分変わっていまして、
文章で表現するのは、難しいのですが、 こう、何枚も重ねまして、上から
少しずつ、水を節約しながら、かけていく こういう感じの、洗濯で、当時は、
洗濯板での、洗濯なので、冬場は、随分大変であったのです。
娑婆【 海軍の外の一般社会】の洗濯とは、随分変わっていたので、 その
方法にも、随分厳しい指導が当時されたのでした。
話は、元に戻りまして、年下の井上 武男生徒をなだめるように、 水桶と、
洗濯板を、手に取りまして、 「 井上生徒、 一緒に、話でもしながら、
洗濯をせんかいな。」と、私は語りかけたのでした。
【次回に続く。】