第911 回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第910話  海軍兵学校 剣道演武訓練の事。     2014年8月20日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
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    大正11年4月17日 月曜日より、 角力と砲術競技の優秀な、2個分隊、 合計4個分隊は、
 
 特別演習と称して、私達とは分離して、 角力や、砲術の訓練を専門にする事になりまして、
 
 
 
 
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       毎日、角力と、砲術の訓練をしていたのですが、それに漏れた私達は、なにを
 
     させられたかと言いますと、 剣道の演武訓練でありました。
 
     朝の糧食が終わりまして、 午前中、 学科の授業があり、 午後、昼の糧食の後、
 
     南側の練兵場で、 剣道具をつけて、 全体での演武訓練が始まったのでした。
 
 
 
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         代表世話人というか、 指導の中心は、以前紹介した、古田中、監事殿でして、
 
         笛を吹く音に合わせて、 剣道着にはかま姿で、面と竹胴と垂れ、 篭手をつけまして、
 
          まずは、 素振りの練習から始まったのですが、 すぐさま、「 ぴぃーーーーーーっ。」
 
         と、笛が鳴って、 訓練が中断しまして、「 全体の 竹刀の動きがバラバラである、
 
         笛の音色に、 竹刀の動きを合わせるように、 そして、振りかぶって、竹刀の切っ先を
 
         お尻の尾てい骨にあてて、 それから振り下ろして、目の高さで止めるように。」と、
 
         指導があったのですが、  面をつけていると、面の両脇の面垂れが邪魔をしまして、
 
 
 
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       なかなか大変であったのです。
 
       通常は、 そんなに、大きく振りかぶることはないのですが、 それをやれと言われ
 
       ますと、そのようにするしかないのでありまして、 大変でありました。
 
       全体の、竹刀を振って、止める位置が、切っ先が目の高さで、ぴしっと、 全体が
 
       合わないといけないと言う事で、 随分やかましい事を言われながら、 練兵場での
 
       訓練が続いたのです。
 
       そして、さらに面倒であったのが、 教頭先生の、 丹生 猛彦 海軍大佐殿が、
 
        ヒマであったのか、 竹刀を左手で持ちまして、 列の周囲を歩いて、 個別指導
 
       していくのです。
 
       以前紹介しましたが、 丹生 海軍大佐殿は、 教頭に就任する前は、前任の長澤教頭
 
       の監督下で、剣道の指導教官でありまして、 竹刀の切っ先で、 胴の 後を、 つんつん
 
       と、つつきまして、 「 おい、貴様、 胴ひもが、ほどけとるぞ。」と、 こんな感じで、
 
       ゆるりゆるりと、回られるのです。 
 
 
 
 
【次回に続く。】