第915回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第914話  海軍兵学校大英帝国皇太子の出迎え行事の事。2014年8月24日日曜日の投稿です。
 
 
 
 
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  大正11年の5月8日の月曜日でしたか、記憶があいまいですが、 イギリスの皇太子殿下一行
 
が、 横浜、東京、大阪、京都などを色々行幸されまして、大型巡洋艦2隻と、我が大日本帝国の先導
 
艦、 護衛の水雷戦隊を従えて、瀬戸内海に入り、 私達の学校の対岸の広島県の宮島に、到着され、
 
 午前中、厳島神社を参詣されたそうです。
 
 
 
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                  【 大正11年の記録写真  宮島の様子の古写真 】
 
 
   以前、滋賀県の大津の警官が、 ロシア皇太子を斬りつけるという事件があり、 広島の陸軍の
 
  第5師団が、厳重に警戒する中、 宮島に到着され、 帰国の航海の安全を祈願されたようです。
 
  宮島の人達は、 漁船などに、国旗を掲げて、歓迎し、 当時イギリスは、同盟国であったので、
 
  大東亜戦争の時と違い、 随分歓迎をされたようです。 
 
 
 
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         警備の陸軍の第5師団の司令部も、何か粗相があったら、師団長と参謀幕僚、
 
        切腹物と言う事で、憲兵隊や、兵士で厳重に警備されたようです。
 
 
 
         ところで私達は、 海軍兵学校の西側護岸に集合をかけられまして、駆け足で
 
       整列して、 番号点呼を行い、 教頭先生の訓示を聞いたのです。
 
 
 
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    分隊伍長の中俣生徒殿が、「 第17分隊、現在員45名、 事故、欠席0名 以上ありません。」
 
    と、報告しますと、 教頭先生の丹生 猛彦 海軍大佐殿が、「 全員注目、 本日は、
 
    恐れ多くも、大英帝国の皇太子殿下が、我が海軍兵学校に来校されるに附き、 第17分隊
 
    には、海上での出迎え、 送別の役目を申しつける。 1番はじめに、 皇太子殿下の
 
    目に入り、 そして、一番最後に、また目に入る大切な役目と心得よ。」
 
    「 第17分隊 伍長 中俣 勇。」 と、大声で叫び、「 貴様は、第17分隊、兵力45名を
 
    もって、江田内に転進し、 皇太子殿下お迎えの係を命ず、 分隊伍長補、 作間 英邇
 
    貴様は、 中俣を補佐し、 粗相の無いように、 全力を尽くせ、以上終わり。」と、訓示があり
 
    わたしたちは、 「敬礼。」と、 号令に合わせて、それぞれの指定のランチに移動しまして、
 
    江田内に出る準備に入ったのでした。
 
 
 
 
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         準備と言っても、 そのまま、ランチを漕いで、江田内に出て、 縦従陣にランチ
 
         ととのえて、オールを垂直に立てらすのですが、 まだ時間もあるので、 手際よく
 
         作業を進めていったのでした。
 
 
 
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       一方、 海軍兵学校の裏門の、通用門では、 呉からの来賓や、広島の第5師団の
 
       来賓や、 呉鎮守府の高級将校らで、 普段と違い、大勢で賑わいを見せていたのです。
 
 
 
     
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       海軍兵学校、始まって以来の、そして、最後となる、イギリス皇太子殿下の訪問は、
 
       午前1100時 到着予定でありました。
 
       私達は、江田内のランチの上で、「 どないな軍艦に乗っておこしになるんやろか。」と、
 
       ひそひそ話をしながら、イギリス王室一行を、お待ち申し上げていたのです。
 
 
 
【次回に続く。】