第915回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正11年の5月8日の月曜日でしたか、記憶があいまいですが、 イギリスの皇太子殿下一行
午前中、厳島神社を参詣されたそうです。
【 大正11年の記録写真 宮島の様子の古写真 】
以前、滋賀県の大津の警官が、 ロシア皇太子を斬りつけるという事件があり、 広島の陸軍の
第5師団が、厳重に警戒する中、 宮島に到着され、 帰国の航海の安全を祈願されたようです。
宮島の人達は、 漁船などに、国旗を掲げて、歓迎し、 当時イギリスは、同盟国であったので、
大東亜戦争の時と違い、 随分歓迎をされたようです。
警備の陸軍の第5師団の司令部も、何か粗相があったら、師団長と参謀幕僚、
ところで私達は、 海軍兵学校の西側護岸に集合をかけられまして、駆け足で
整列して、 番号点呼を行い、 教頭先生の訓示を聞いたのです。
と、報告しますと、 教頭先生の丹生 猛彦 海軍大佐殿が、「 全員注目、 本日は、
には、海上での出迎え、 送別の役目を申しつける。 1番はじめに、 皇太子殿下の
目に入り、 そして、一番最後に、また目に入る大切な役目と心得よ。」
もって、江田内に転進し、 皇太子殿下お迎えの係を命ず、 分隊伍長補、 作間 英邇
貴様は、 中俣を補佐し、 粗相の無いように、 全力を尽くせ、以上終わり。」と、訓示があり
わたしたちは、 「敬礼。」と、 号令に合わせて、それぞれの指定のランチに移動しまして、
江田内に出る準備に入ったのでした。
準備と言っても、 そのまま、ランチを漕いで、江田内に出て、 縦従陣にランチ
ととのえて、オールを垂直に立てらすのですが、 まだ時間もあるので、 手際よく
作業を進めていったのでした。
一方、 海軍兵学校の裏門の、通用門では、 呉からの来賓や、広島の第5師団の
来賓や、 呉鎮守府の高級将校らで、 普段と違い、大勢で賑わいを見せていたのです。
海軍兵学校、始まって以来の、そして、最後となる、イギリス皇太子殿下の訪問は、
午前1100時 到着予定でありました。
私達は、江田内のランチの上で、「 どないな軍艦に乗っておこしになるんやろか。」と、
ひそひそ話をしながら、イギリス王室一行を、お待ち申し上げていたのです。
【次回に続く。】