第1038回  田中角栄先生と、福田赳夫先生の政治的対立を考える。

みなさん、こんばんは、模型公園です。          2014年9月18日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
                  今日の模型公園の家の近くは曇り空で、雨が降りそうな天気です。
 
 
 
 
                        今日のおままごとの紹介です。
 
 
 
 
              
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             きのうね、横浜の奥さんの まぐろの中トロを食べたら美味しかったという
 
             記事を読んでね、 僕もマグロが食べたくなったのです。
 
             中トロとか、大トロは高いので、 赤身でもと考えて、 テクテク歩いて
 
              お使いに行く事にしたのです。
 
             今日は、 広告の品と言うことで、 びんちょうまぐろの短冊が、384円
 
             でした。
 
 
 
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           僕は、かっぱ寿司に行くと、5皿くらいは、ビンチョウマグロを食べる程度、
 
           好物なのです。
 
 
 
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             刺身を切る前に、時間ロスになるので、あさりの味噌汁を火にかけてから
 
             刺身をカットしました。
 
 
 
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                今日は、こんな感じで、カットして、 織部緑秞葉模様皿に
 
                盛りつけました。
 
 
 
 
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                   切り終わった頃に、 あさりの味噌汁が出来上がり。
 
 
 
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                  織部緑秞四方皿には、  煮込み大根と、豚肉の煮込み
 
 
 
 
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            じゃーーん、  今日のビンチョウマグロの刺身定食の出来上がりです。
 
 
 
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                おだいこんの豚肉の汁の煮込み、 ひとつ原価が5円程度なのですが、
 
                すこし煮込んで、つけておくと、安くて、良いおかずになります。
 
                みなさんも、よかったら、 50円で10個程度出来るので楽しんで
 
                見てください。
 
 
 
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                ビンチョウマグロは、 筋がありそうなので、安いがどうかなと、
 
  
 
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           心配していたのですが、 今日は、醤油、ワサビ、 スダチの汁で まぜまぜした
 
           タレをつけて楽しみます。
 
 
 
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              今日も豊松村の美味しい御飯の上に、転がしながら、楽しみます。
 
 
               口の中に入れると、 刺身が溶けるような感じで、 味がじゅわーーっと
 
               広がって、とっても美味しかったです。
 
 
 
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                 あさりのお味噌汁も、とっても美味しかったです。
 
 
 
 
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               今日は、原価が600円程度、  作業時間10分程度の素人料理の
 
               紹介でした。
 
 
 
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               今日も、美味しかったので、ペロンと、全部食べてしまいました。
 
 
 
 
 
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           今日は食後に、イタリアのバレンチノカップで、 ミルクをいただきました。
 
 
 
 
 
 
 
                               今日の模型のお話です。
 
 
 
 
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                 今日は、 側面の構造物を接着して行きます。
 
 
 
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             このキットの大きな弱点のこの後部は、 強度が弱いと、ばらけてしまう
 
             ポイントで、 もう少しここを改善する必要があります。
 
 
 
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            少し裏側から、接着剤をつけて、 堅固に接着して行きます。
 
 
 
 
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                         今日は、底板に 名前を入れます。
 
 
 
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           はばたく、 ツル と書いて、 しょうかく と読みます。 少し羽ねの字が
 
            倒れたみたいーーーーー。
 
            やり直しがきかないので、 良いことにして、 乾燥させます。
 
 
 
           【明日に続く。】
 
 
 
 
 
                【 田中 角栄先生と 福田 赳雄先生の政治的対立を考える。 】  
 
 
 
    世間では、 田中 角栄先生と、 福田 赳夫先生の政治的抗争を、【角福戦争】と呼んで
 
    数日紹介している、日中の政府間交渉前後から、ひどくなっていくのですが、 実際には
 
    田中 角栄先生と、 岸 信介 先生の利権争いだったのです。
 
 
 
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           岸 信介先生の弟の 佐藤 栄作 先生の実力のある幹部であった田中 角栄
 
           先生は、 三十代後半、 当時、戦後 最年少で、郵政大臣に就任します。
 
 
 
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            田中角栄先生は、 1年程度で、郵政省を、田中官庁と呼ばれる程度、
 
            官僚の人心をつかんで、掌握してしまうのです。
 
            それは、それは、 当時を知る、故 佐藤 守良 衆議院議員のお話では、見事な
 
            物であったそうです。
 
 
            そして、 第二次池田内閣では、 昭和37年、初めて小学校卒という学歴で
 
            大蔵大臣に就任します。
 
 
 
 
 
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    ここは、福田赳夫先生の出身官庁で、 言わば城とも、本陣とも言うべき官庁でした。
 
 
 
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             公共事業などで、予算をつける、重要な役所で、 福田先生にも、岸先生
 
            にも大切な、役所であったのですが、 ここに、田中 角栄先生が入って行った、
 
            そして、摩擦が起きていったのです。
 
 
 
 
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        昭和37年7月18日  大蔵省に乗り込んだ、田中 角栄先生は、職員を講堂に
 
        集めて、 短い挨拶をされます。
 
 
         「  えーーー、この度、大蔵大臣を 拝命しました、田中 角栄であります。
 
        私は、みなさんのように、東大は卒業しておりません、 しかし、 社会の勉強は
 
         随分積んで来ております。
 
         今日から、 大臣室のドアを、取り払うので、 我と思う人は、この田中を訪ねて来て
 
         ほしい、 上司や、課長を通さなくていい、 なんでも相談に来てください。
 
         出来る事は、 この田中が、なんでも実現していきます。」と、 こんな感じの挨拶を
 
         され、 どよめきが起こったのです。
 
 
 
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            田中 角栄先生は、 毎朝、3時に起きて、 選挙区からの手紙や書類に目を
 
           通して、 4時間程度集中して、勉強されます。
 
           横と、縦の関係がうるさい、大蔵省の役人の名前を暗記して、 その人の家族まで
 
            覚えるのです。
 
            例えば、 末端の人でも、すれ違うと、 「 よおよお。」と、田中先生の方から
 
            近づいてきて、声をかける、 そして、「 今日は君の家の奥さんの誕生日
 
            だろう、 今日ぐらい家に早く帰ってやれ。」と、声をかけたり、 秘書の人が
 
            誕生日プレゼントを届けに来たりと、 こんな感じで、 どんどん、入省年次の
 
            若い、福田先生や、岸先生が、声をかけない人に、 取り込み活動を続けて
 
            いったのです。
 
 
 
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     下の役人の人は、大臣などと面会は出来なかったのですが、田中先生になったとたん
 
      面会して、困ったことや、私的なことや、 いろんな事を相談出来にいけるようになり    
 
      そして、 田中先生の秘書が、きめ細かく、背中までかいてくれるように、世話をしてくれた
 
      のです。
 
 
 
 
 
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            しばらくすると、郵政省に続いて、 大蔵省も、田中官庁と呼ばれるようになり、
 
            田中 角栄先生に、予算陳情が行くようになって、 岸 信介先生や、
 
            福田 赳雄 先生の 利権というか、大切にしていた予算獲得枠を、
 
            田中先生が浸食していったのです。
 
 
 
 
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            岸 信介 先生からしてみたら、 弟の子分が、大きくなりすぎで、一人歩きして
 
            じゃまな 存在になっていったというのが、実情でした。
 
            そして、自民党総裁選で、 田中、大平 グループに、 一杯食わされ、
 
            政治的対立が続いているところに、 中国共産党との国交回復の問題が
 
            水面下で進んでいたのです。
 
 
             昭和47年9月の閣議で、 日中国交正常化の問題が、二階堂官房長官から
 
            閣僚に紹介され、議論が始まると、 当時福田派の 経済企画庁 長官
 
             の 有田 喜一 議員から、 台湾政府との国交断絶が、計画されていることを
 
            知った、岸 信介 先生は、 この話を潰そうと、 動き出すのでした。
 
 
 
           【明日に続く。】 
 
 
 
 
 
     それではみなさん、良い木曜日の夜をお楽しみください。       ギッチョンパー♪