第940回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第939話 陸軍近衛師団のこと。            2014年9月18日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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      天皇陛下のお住まいの皇居の事を 大正11年当時は、 宮城【きゅうじょう】と呼んでいた
 
  のですが、 天皇陛下を守護し、 お守りする陸軍の軍隊を、近衛師団 【このえしだん】と
 
  呼んでいました。
 
 
 
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          日本全国、 朝鮮半島などに、 いろんな師団司令部があったのですが、
 
          近衛師団は別格で、 陸軍中将でも、よほどの軍政にコネがある将官か、
 
 
          世渡り上手な、 将来、 陸軍大臣、 陸軍参謀総長クラスの人が勤める
 
 
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          陸軍の花形ポストで、  皇族は、原則として、 男子は、近衛師団司令部附
 
          という身分で、 まあ、お客さんのような特別扱いでしたが、軍務に付くことに
 
          なっていたのです。
 
 
 
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                【  乗馬の訓練の最中の東宮 裕仁殿下  後の 昭和天皇  】
 
 
 
           昭和天皇こと、 東宮裕仁殿下も、 近衛師団の中で、乗馬を習われたり、
 
           軍務を勉強されていったようですが、 以前紹介したように、 一般の将校と
 
           同席したり、 お話になる事は無かったのです。
 
 
 
 
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          近衛師団も、二等兵から、陸軍中将までの軍人がいるのですが、 少し変わって
 
          いまして、わかりやすく読者のみなさんに紹介しますと、 みなさんの家の近くで、
 
          大金持ちの息子とか、 家柄の良い昔は家老の子孫とか、 市会議員の息子とか、
 
          の次男坊が、  憲兵隊の身辺調査を経て、 採用されていったのです。
 
 
 
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          一般家庭の長男、 つまり世帯主になる男性とか、 大学進学中の学生は、 
 
          徴兵免除で、 次男、三男に召集令状が来て、20歳から、 3年間 兵役に行く事が
 
          義務ずけられていたのですが、 昭和12年からは、 そういうことが廃止され、 すべて
 
          の男子に、徴兵の対象となっていき、 大学生なども、昭和18年に東条内閣によって、
 
          法律が改正されて、 どんどん召集令状が来ることになっていきました。 
 
 
 
 
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          私達の大正時代には、 なるべく長男の嫁にと、ご婦人達が結婚を求めたのも、
 
          戦争未亡人にならないための手段であったのです。
 
 
 
 
 
           少し話がそれたのですが、 その地域の名士の息子が、近衛師団に徴兵され、
 
           世間では、あこがれの軍隊であったのです。
 
 
 
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           反面、入営しますと、儀仗行進や、一般の歩兵連隊と違い、いろんな作法があって
 
           大変であったようですが、 無事、除隊しますと、 近衛兵であったと言う事は、
 
           当時世間に自慢できることでして、 男として、箔が付いたのです。
 
 
 
 
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        一般部隊と、近衛師団の見分けの特徴は、 帽章で、 陸軍の制帽は、星の
 
        マークでしたが、 その下に、 V字の葉っぱのマークが付いていました。
 
 
 
 
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          そして、 帽章を見て、 近衛師団の兵士と言う事がわかり、 襟章の左に
 
          各連隊の番号をつけていたのです。
 
           上の画像の人の場合、 3 と言う数字が付いているので、 近衛第3連隊所属
 
           とすぐわかるのです。
 
 
 
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          このほか、近衛師団の制服には、儀仗用の大礼服などがあり、色々細かな、
 
          決まりや、一般の兵士が行わない訓練があったようです。
 
 
  
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               馬の飼育、扱い方、 馬術競技なども、 そのひとつのようです。
 
 
 
            ところで、近衛師団の紹介はこのくらいにして、話を戻しますと、
 
 
 
          「  だれかーーーー。」 と、警備中の第1連隊の兵士が叫びますと、
 
          先ほど紹介した、近衛兵の帽章をつけた、近衛兵が、 「 宮内大臣 
 
           牧野 伸顕 子爵の一行である。 摂政殿下の御名代として、陸軍参謀総長
 
           お会いしたい。」と、 こう言いますと、 警備の兵士は、 最敬礼して、
 
 
 
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                          近衛兵の一行をお通ししたのです。
 
 
 
 
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             いよいよ、陸軍参謀本部に、田中 義一 陸軍大将と、 西園寺 公望公
 
          の描いた筋書き通りに、 勅使として、 宮内大臣 牧野 伸顕 子爵 こと、
 
          通称、 しんけん さんが、 調整に乗り出したのでした。
 
          当時、 昭和天皇事、 東宮裕仁殿下に、絶大な信頼があり、混乱収拾のため
 
          期待が寄せられていたのです。
 
 
 
          【明日に続く。】