第1039回  中国国民党と、岸 信介先生の関係を考える。

みなさん、こんばんは、模型公園です。           2014年 9月19日 金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
              今日の模型公園の家の近くは、曇り空でどんよりと曇っています。 
 
 
 
 
 
                        今日のおままごとの紹介です。  
 
 
 
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                  今日は、備前焼の陶板を使って、楽しんで見ます。
 
 
 
 
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              今日は鶏の手羽元が221円でした。 冷蔵庫に少しウナギのタレが
 
              残っていたので、 ウナギのタレで楽しんで見ることに。♪
 
 
 
 
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             ウナギのタレ、 最後の最後で、少ししかないのですが、これだけあれば
 
             ずいぷんと、 楽しめるのです。
 
 
 
 
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             今日は、時間をロスしないように、手羽元を焼ながら、カレーのルーを
 
              作ります。
 
             タマネギに、ショウガを刻みました。
 
 
 
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                  バターを引いて、ショウガを炒めて、玉葱を入れていきます。
 
 
 
 
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               僕は、冷蔵庫に少しだけ挽肉をおいておくことにしています。
 
               挽肉は色々使えて、大変便利です。
 
 
 
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               今日は、練りワサビと、ココナツミルク、ヨーグルト、カラシ、 ケチャップ
 
              カレー粉を少々入れて、 クツクツと弱火で煮込んでいきます。
 
 
 
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                  なかなか美味しそうな、ルーの色になりました。
 
 
 
 
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                    こんな感じで、 備前焼の鉢に入れて、出来上がりです。
 
 
 
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              今日は、100円で、焼きたてのパンを買って来ました。 フカフカで美味しそう。
 
 
 
 
 
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             そうこうしていたら、ウナギのタレで焼いた、鶏肉が出来ました。
 
 
 
 
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              じゃーーん、  今日のカレーセットの出来上がりです。
 
 
 
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                 ウナギのタレをつけて焼いたら、 美味しそうな色具合になりました。
 
 
 
 
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               いやーーーー、美味しいですね、 かみ応え良し、 味良し、♪。
 
 
 
 
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                今日も焼きたて、フカフカのパンに、カレーをつけて楽しみます。
 
 
 
 
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               今日の 昼過ぎに出来たパンなので、柔らかくて美味しいです。
 
 
 
 
 
 
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        今日は、原価が400円程度、  作業時間30分程度の素人料理の紹介でした。
 
 
 
 
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                 食後のブラックコーヒーも、とっても美味しかったです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                今日のお話は、 模型公園が推薦するDVDのお話です。
 
 
 
 
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                 独立愚連隊  昭和30年代初期の 白黒東宝映画の紹介です。
 
 
 
 
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            映画の舞台は、中国の満州という設定で、 富士の演習場でロケしたようです。
 
            当時の雰囲気がよく出ています。 大戦中の 皇軍のトラックが1台出てきます。
 
             主演は、 佐藤 允 【さとう まこと】 さんで、 鶴田 浩二 さんなど、おきまりの
 
            東宝俳優が出演します。
 
            西部劇と、仇討ち物と、推理刑事物と皇軍戦争物を、ミックスした内容で、なかなか
 
            楽しめる内容となっています。
 
 
 
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              最後は、中国国民党と、 ドンパチすると言う設定で、 国民党の制服も
 
              当時物のレプリカでしたが、 雰囲気は出ていて、 中国風の城壁
 
              中国風の民家と、 随分見えない部分のセットに、お金がかかっているのが
 
              見て取れました。
 
 
 
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            昨日発売の、復刻物で、ブローニング1920を持った、悪徳陸軍将校との
 
            拳銃の果たし合いも、入っていて、ガンマニアの人にも、お勧めです。
 
 
          【明日に続く】
 
 
 
                    
 
                【  中国国民党と 岸 信介 先生の関係を考える。  】
 
 
 
 
       
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            昭和20年から、 中国国民党と、中国共産党は、戦争をして、 国民党が
 
            中国大陸から追い出されたのですが、 国民党には、アメリカとイギリス、
 
            中国共産党には、 ソビエトが軍事援助して、 代理戦争のような形でしたが
 
            中国共産党が、 宣伝工作がたけていたというか、 おきまりの、「 税金を無
 
 
 
 
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            くして、 地主を追放して、 みんな平等に労働して、 医療も、学校も無料にして。」
 
            と、 こういう宣伝を広くしていったことで、 人々が 中国共産党にだまされて
 
            共産党に協力していったことで、 国民党は、補給が届かなくなって、 敗戦が
 
            続いていったのです。
 
            まあーー、みんな、だまされたとわかった時は、 もう遅かったのです。
 
             とんでもない、 独裁恐怖政治であったわけです。
 
 
 
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             当時、台湾は、日本の領土で、みんな台湾の言葉と、日本語が使われ、
 
             比較的平和な所だったのですが、 中国国民党が、 大陸から上陸してきて
 
             武力で、台湾を占領したのです。
 
             実は、 傭兵として、日本の軍人が多く、国民党の軍隊に参加していくのですが、
 
             またの機会に紹介しますが、 平気で、台湾の人に、機関銃発砲して
 
             中国式に、 広場に人を集めて、 公開処刑を行って、恐怖政治を始めた
 
              のです。 
 
 
 
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               昭和47年、9月に、 日本が、台湾政府に対して、国交を断絶する
 
               行動に出る以前は、 岸 信介 先生の名刺を、 台湾の国民党の
 
               行政機関に持参すると、 特別扱いしてくれて、 商売をするにも、
 
               事業をするにも、 観光をするにも、 非常に親切に対応してくれた
 
               そうです。 
 
 
 
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          それは、どういうことかというと、日本が武力衝突や、戦争に巻き込まれないよう、
 
          周囲の国々と、友好関係を保ち、 相手の国に、嫌われないように、 相手の
 
          要望に対して、親切に対応し、 お互いが経済発展し、 利益が出るように、常日頃
 
           岸 信介 先生は、 アメリカや、となりの大韓民国、 台湾、インドネシア、その他
 
           と、友好関係を積み重ねて来られたのです。
 
 
 
 
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            総理大臣官邸での閣僚会議で、 田中派木曜クラブの二階堂 進先生が
 
            台湾国民党と、国交を断絶し、 日本側から一方的に通告し、 新たに中国
 
            共産党と、外交関係を結ぶというそういうことを、一方的に、福田派の八日会
 
            に無断で進めているという情報が入ると、 岸 信介 先生は、 この動きを
 
            潰そうと、動き出します。
 
 
 
 
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              中川 一郎 衆議院議員などの、 台湾国民党との利権を持つ、 議員に
 
            連絡を取り、 大騒ぎを起こして、 田中内閣に圧力をかけようとしたのです。
 
 
 
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              当時、 親台湾派の議員であった、浜田 幸一先生も、「 国会の審議も
 
              行わず、 台湾との国交断絶を検討するとは何事か。」と、 テレビに出たり
 
              色々活動を始めたのですが、 既に、 遅かった、 というか、矢は、ツルを
 
              離れていたのです。
 
 
 
 
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              昭和47年9月初旬、 田中 角栄先生の事務所に、 中国共産党
 
           秘密の訪問があって、 田中先生の 日常のスケジュールのパターン、
 
           好きな食べ物、 嫌いな食べ物など、 子細に調査に訪れ、 当時応対した
 
           秘書の人のお話では、  好きな食べ物は、 塩辛い物で、 すき焼きでも、
 
           塩と、しゅうゆをたくさん入れて、 塩辛くして食べるのが好きで、 嫌いな物は、
 
           生もので、 刺身などは一切食べないとか、 朝、 3時から起きて、4時間程度
 
           勉強して、夜の21時には、 就寝するなどの、情報を聞いて帰国したそうです。
 
           中国共産党は、 田中角栄先生を接待するのに、細かく好きな食事、 嫌いな
 
           食事などを、調査して帰ったようです。 
 
 
 
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             岸先生や、 福田先生、 園田先生が、「 角栄に やられた、 どうなって
 
             いるのか。」 と、 出入りの番記者を使って、 情報収集しだした頃には、
 
             台湾との 国交断絶は、決まり、 中国共産党との国交回復の外交協議の
 
             訪問日程は、 9月24日に出発と、 そこまで決まって、走り出していたのです。
 
             
 
              つまり、 岸 信介 先生達が、積み上げてきた、 台湾国民党とのパイプは
 
              田中 角栄先生と、 大平 正芳 先生 の大角グループに、破壊されようと
 
              していたのです。
 
              このことが、 田中派、 大平派、 と、福田派 中川派 などとの、政治抗争に
 
              発展していくのでした。
 
 
 
          【次回に続く。】
 
 
 
        それではみなさん、良い金曜日の夜をおすごしください。      ギッチョンパー♪