第942回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第941話 シベリア撤退の事後処理の事。 2014年9月20日 土曜日の投稿です。
【 大正11年6月当時、陸軍参謀総長の上原 勇作 陸軍元帥 】
上原 勇作 陸軍元帥は、しばらくして、「 摂政殿下には、 国軍が沿海州、シベリア、
樺太から撤退した場合、 その後の日本人居留民、 そして、日本軍に協力していたロシア
白軍兵士とその家族の保護については、 どのようなお考えでありますか、 2年前の
日本人が裸にされて、女子供まで、斧で、頭をたたき割られる事件の二の舞が発生する事は、
国軍が撤退したら、必ずおこるでしょう、 もしかしたら、 海を渡って、 共産主義の
狂った革命を叫ぶ輩が、日本に入ってくる可能性も、なきにしもあらず、そのあたりの
撤退後の前後策はどのようにお考えか。 」と、 牧野子爵に質問をされたのです。
以前紹介したのですが、 尼港事件と言いまして、 冬の極寒期に、共産主義を
日本の石田副領事などの外交官と、その家族を虐殺し、 領事館を焼き討ちし、
海軍陸戦隊を皆殺しにし、 水戸歩兵第2連隊、第3大隊を降伏させ、 その後、
ユダヤ人などに対して、 共産革命を叫びながら、 略奪を繰り返し、女子供まで、
雪の中で、裸にされて、 斧で頭をたたき割られて、処刑されるという事件があった
のですが、欧米人を入れて、 5千人から、6千人が一部ロシア人、そして朝鮮人
中国人で構成された、共産党革命軍に虐殺され、降伏した、 日本軍、 軍医、
看護婦、 負傷兵まで、 皆殺しになったのです。
再度、 日本陸軍が撤退したら、 現地の日本人はどういう風に、安全を守って
いくのかと言う事を、 上原 陸軍元帥は、問われたのです。
ウラジオストックには、日本の銀行や、商店、 缶詰工場などが、建ち並び、
数千人の日本人が、 経済活動をしていましたし、 沿海州の各都市にも、
同様であったのです。
そして、日本軍の駐留が長引くにつれて、 ウラジオストックに駐在する
日本人商社、 その家族、 などなど、日をおって、どんどんと、増加していた
のです。
前後関係の諸問題に対して、 特に指示を出され、 二度と尼港事件のようなことが
発生しないよう、よく打ち合わせし、 また撤退の後から、銃弾を浴びせられないよう、
との、ご内意であります。」と、 回答されたのです。
色々と、上原陸軍元帥と、 牧野宮内大臣との交渉は、長きにわたり、一旦、
結論を得ずに、 軍政のことは、陸軍大臣が 再度内閣に奏上すると言う事で、
この日の会談は、 終了したようです。
以前紹介しましたが、 モスクワには、武力で共産革命を推進する、レーニンの
ソビエト共産党政権があり、 シベリアのオムスクを首都とした、シベリア共和国
という国が当時はあって、 ここを、日本軍が軍事援助していたのです。
【 日本陸軍が支援していた、シベリア共和国のコルチャーク提督】
私がちょうど、 海軍兵学校に入学した頃、 このシベリア共和国の元首の
を支援し、 補給が滞り、 各地の戦争に大敗して、捕虜になり、 ソビエト共産党に
処刑されるのです。
【 青色の部分が、 ソビエト共産党 ピンク色がシベリア共和國
黄土色が、 ティヴィーエール共和国 】
日本も陸軍を派遣して、 戦争していたわけですが、 上原元帥が、指摘したのは、
日本陸軍に協力していた、 ロシア人の軍隊を 白軍 と呼んでいたのですが、
この人達と、 その家族は、どうするのか、 日本軍が、撤退したら、皆殺しになるのは
共和国との、和平交渉はどうなるのかと、 問いただされたのです。
つまり、当時は、 ウラジオストック周辺に、日本軍が駐留し、 中国国境付近に
を、戦争で打ち負かして、 ウラジオストックに迫っていたのです。
事態は、 現地の6月の雪解け時期を迎え、 緊張に包まれていったのです。
【次回に続く。】