第1042回  中国共産党と、大平正芳外務大臣の会談を考える。

みなさん、こんばんは,模型公園です。          2014年9月22日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
                今日の模型公園の家の近くは、とっても良いお天気です。
 
 
 
 
 
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           今日は、どういうわけか、久しぶりにシャケが食べたくなったので、 314円で
 
           切り身を買うことにしました。
 
 
 
 
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                     今日も、108円のあさりの汁を作ります。
 
 
 
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              今日は、 レタスに、ボイルした、オクラでいかだを組んで、 上にシャケを
 
              焼いた物を、乗せてみました。
 
              そして、その後に、マカロニサラダを載せました。
 
 
 
 
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             じゃーーん、  今日のシャケの塩焼き定食の出来上がりです。
 
 
 
 
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                     焼きたての、熱々は、美味しそうですね。
 
 
 
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                            なかなか美味しそうです。♪
 
 
 
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                   今日は、 一昨日紹介した、 リケンのウマ塩ドレッシングを小皿に
 
                   入れて、 色々とつけつけ食べて、楽しみました。
 
 
 
 
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             おくらのボイルしたものを、リケンの ごま塩ドレッシングにつけつけ
 
 
 
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                    楽しみました。  少し、お酢の味がしてね、 そうくどくなくて、
 
                    なかなか良い感じです。
 
 
 
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                今日も、美味しい豊松村の御飯の上を、転がしながら楽しみました。
 
 
 
 
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                       貝のお汁も、とっても美味しかったです。
 
 
 
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                 今日は、原価が、そう、450円程度、  作業時間 15分程度の
 
 
 
 
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                  素人料理の紹介でした。  今日もとっても美味しかったです。
 
 
 
 
 
 
 
                              今日の模型のお話です。
 
 
 
 
 
 
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                  全体に、 塗料を吹いて、 十分乾燥させます。 
 
 
 
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            資料が少ないのですが、 昭和17年初頭の、艦上機のように、つや消しの
 
            黒い塗装をしてみました。   反射防止の効果があったそうです。
 
 
 
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                              車輪を接着して行きます。
 
 
 
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                         今日は、こんな感じに、乾燥させます。
 
 
           【明日に続く。】
 
 
 
 
 
                 【 中国共産党と、 大平正芳外務大臣の会談を考える。 】
 
 
 
 
 
             昭和47年9月25日 日本の内閣総理大臣の田中 角栄先生一行は、
 
             中国共産党の本拠地、北京に到着したのです。
 
 
 
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            中国共産党側の要求というのは、 事前通告があって、 戦前の賠償金を
 
            日本に支払えというもので、 中国共産党と付き合うのなら、 台湾の中華民国
 
            こと、 中国国民党政権と、国交を断絶し、 それから、 戦争状態の終結
 
            お互い確認するという物でした。
 
 
 
 
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           周恩来さんは、非常にしたたかな、官僚政治家で、 当時中国の国内は、
 
           文化大革命と言われる共産革命で、 都市部も農村も、荒廃し、 外貨を
 
           投資にあてようにも、 まったく、 諸外国とのつきあいが狭く、 唯一の援助
 
           国であった、ソビエト共産党とも、 戦争状態となり、国土は疲弊していたのです。
 
           彼が考えていたのは、 日本から、戦前の損害の賠償金と称して、多額の金額を
 
           日本から引き出して、 そのお金を国内の基盤整備に使い、 なおかつ、 台湾の
 
           国民党との、国交断絶を迫り、 これを世界の國に広げていって、 台湾政府の
 
           国際社会からの孤立を推進していき、 包囲網を作ろうとしていたのです。
 
 
 
           
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            これが もくろみ通り実現すれば、 台湾の国民党は、多くの経済的被害が
 
            発生し、 有力な輸出先を国民党は失うことになり、 多いに歓迎すべき事で、
 
            さらに、 日本に、 第2次世界大戦の、損害賠償を請求して、 外貨を獲得
 
            出来れば、1石2丁の成果があることになり、 毛沢東も、 追認していたのです。
 
 
 
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            海を隔てた、台湾の国民党政府では、 前触れ無く日本の内閣総理大臣
 
           北京を訪問したという情報が入り、 驚くと同時に、 抗議の姿勢を示したのです。
 
 
 
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           北京に到着後、外務大臣の 大平 正芳 先生、 外務省の橋本中国課長、
 
 
           高島条約局長、 栗山条約課長、一行との、 中国共産党との、 事務レベルでの
 
           打ち合わせが始まったのです。
 
           ここで、 中国側は、多いに落胆したというか、 当てが外れたというか、
 
           大平先生からのお話は、 「第2次世界大戦での損害賠償は、 1元も
 
           日本政府から 支払えない。
 
           台湾国民党政府とは、 そのまま、経済交流を続け、 それと合わせて、中国共産党
 
           とも、国交を開いて、 日本大使館を設置して、 徐々に経済交流を続けて発展させて
 
           行きたい。」という、 そういう日本側の申し入れだったのです。
 
 
 
 
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            中国共産党は、日本からお金をむしり取ろうと、語気を強めて、激しい
 
            応酬が続き、 大平先生は、「 あーーーーーーっ、うーーーーーーーっと
 
            のらりくらりと、日本の立場を説明し、 一向にラチがあかなかったようです。
 
 
 
           【 明日に続く。】
 
 
 
     それでは、みなさん、良い月曜日の夜をお楽しみください。    ギッチョンパー♪