第944回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正11年6月は、 内閣が替わり、 陸軍と海軍が対立し、 シベリア撤退で
大きく日本の政治が揺らいだ月でありました。
結局、 現地は、剣術で言う、残心を示しながら、 随時ウラジオストックに、
向かって、 各師団事に、停戦協議を行い、 随時撤退していくことで、方針が決まり、
私達には理解が出来なかったのですが、 日本と軍事同盟を結んで、日本の
商社や、国民などを保護する見返りに、 軍事援助をして、 共存を図るという
そんな話になっていったようです。
当時、 ドンパチ戦争をしていた相手と、 手を結ぶとは、 海軍兵学校に
在籍していました私達にはとうてい理解できなかったのですが、 陸軍参謀本部
共産党の防波堤にしようと考えていたようです。
防波堤代わりにして、 友好条約を結んで、 日本企業など、治安維持に当たらせ、
引き上げの撤退の追い打ちや、ゲリラの妨害を、少なくしようと考えていたようです。
しかしながら、これらの考えは、 水泡に帰すのですが、 順番に紹介して行くつもりです。
東京で、 シベリア撤退の事で,大騒ぎになっていた頃、私達は、 やっと、
6月の学力考査が終わり、 通常の授業に戻っていたのです。
すぐに、クラス替えがあるのかと思っていたら、 まったくそのままでして、
当時、分隊の中では、 8月後半に53期の入学式の後に、クラス替えが
あるのではないかと、 そんな噂をしていました。
6月の月というのは、 雨が多い月でもありますが、 海軍兵学校では、
月であったのです。
戦後の現在、 大相撲のことを、角界と呼んだりしますが、 大正11年当時、
業界という、 そういう意味合いがあるようです。
内、 私達は、3種類の武道の稽古をさせられていたのですが、 その後、
ひとつ、選択式になりまして、 だんだん、 剣道と、柔道に比重が置かれ、
大正11年6月後半、いよいよ、 角力の授業が始まろうとしていたのです。
【次回に続く】