第944回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第943話  海軍兵学校 角力の事。           2014年9月22日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
    
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          大正11年6月は、 内閣が替わり、 陸軍と海軍が対立し、 シベリア撤退で
 
          大きく日本の政治が揺らいだ月でありました。
 
           
 
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          結局、 現地は、剣術で言う、残心を示しながら、 随時ウラジオストックに、
 
          向かって、 各師団事に、停戦協議を行い、 随時撤退していくことで、方針が決まり、
 
          外務省の使節団というのは、 ティーヴィーエール共和国の首脳と協議して、
 
          私達には理解が出来なかったのですが、 日本と軍事同盟を結んで、日本の
 
          商社や、国民などを保護する見返りに、 軍事援助をして、 共存を図るという
 
 
 
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           そんな話になっていったようです。
 
           当時、 ドンパチ戦争をしていた相手と、 手を結ぶとは、 海軍兵学校
 
           在籍していました私達にはとうてい理解できなかったのですが、 陸軍参謀本部
 
           と、海軍省の本省派、 内田 外務大臣などは、 ティーヴィーエール共和国を、
 
 
           シベリア共和國を打ち砕いて、急速に占領地を広げていた、レーニンソビエト
 
           共産党の防波堤にしようと考えていたようです。
 
 
 
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           当時の外務省首脳は、 ティーヴィーエール共和国の共産国という事を目をつむり、
 
          防波堤代わりにして、 友好条約を結んで、 日本企業など、治安維持に当たらせ、
 
          引き上げの撤退の追い打ちや、ゲリラの妨害を、少なくしようと考えていたようです。
 
          しかしながら、これらの考えは、 水泡に帰すのですが、 順番に紹介して行くつもりです。
 
 
 
 
 
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            東京で、 シベリア撤退の事で,大騒ぎになっていた頃、私達は、 やっと、
 
            6月の学力考査が終わり、 通常の授業に戻っていたのです。
 
            すぐに、クラス替えがあるのかと思っていたら、 まったくそのままでして、
 
            当時、分隊の中では、 8月後半に53期の入学式の後に、クラス替えが
 
            あるのではないかと、 そんな噂をしていました。
 
            6月の月というのは、 雨が多い月でもありますが、 海軍兵学校では、
 
            角力、 と書いて、 当時は、すもうと 呼んでいたのですが、 角力をする
 
            月であったのです。
 
         
 
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            戦後の現在、 大相撲のことを、角界と呼んだりしますが、 大正11年当時、
 
            角力 と書いて、すもうと、発音し、 その名残で、角界 と書いて、 すもうの
 
            業界という、 そういう意味合いがあるようです。
 
            私達が、海軍兵学校を卒業して、 どういうわけか、 剣道、角力、柔道の
 
            内、 私達は、3種類の武道の稽古をさせられていたのですが、 その後、
 
            ひとつ、選択式になりまして、 だんだん、 剣道と、柔道に比重が置かれ、
 
            角力は、 海軍兵学校から、衰退していくのです。
 
            大正11年6月後半、いよいよ、 角力の授業が始まろうとしていたのです。
 
 
          【次回に続く】