第1058回 中国共産党と、田中角栄先生の首脳会談を考える。

みなさん、こんばんは、模型公園です。         2014年10月8日水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
            今日の模型公園の家の近くは晴天でとっても良いお天気でした。
 
 
 
 
                     今日のおままごとの紹介です。
 
 
 
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           今日はにんじんをカットして、 バターと白ワインで、 ソーテしました。
 
 
 
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               溶き卵を作って、 オムレツ風の卵焼きを作ります。
 
 
 
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               以前紹介したのですが、 簡単そうで大変難しい、卵焼きです。
 
               今日は難易度をあげて、丸いフライパンで作る練習です。
 
 
 
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           ところで、今日のソースの実験ですが、 オムレツなどの卵料理には、ケチャップ
 
           をかけて楽しむのが定番ですが、 家に歩いて帰る途中、思いついたソースの
 
           実験をしてみることにしたのでした。
 
 
 
 
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             今日は、牛乳にバター、白ワイン、小麦粉、みりん、お酢を入れて、
 
             弱火で混ぜ混ぜしていきます。
 
             今日は、 流動性を低くするため、小麦粉を多めに入れました。
 
 
 
 
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              こんな感じの、白いソースが出来上がりました。  とろみは、ケチャップ程度
 
           のとろみを目標に試作してみました。
 
 
 
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            お恥ずかしい卵焼きと、 ポテト、レタス、トマト、にんじんのソーテです。
 
 
 
 
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             じゃーーん、 今日の卵焼きのベシャメルソース風セットの出来上がりです。
 
 
 
 
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              今日のベシャメルソースは、ほんのり甘酸っぱいので、 にんじんには
 
              ちょうど良いようです。
 
 
 
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           卵も、ただ焼くだけならそうでもないのですが、 外をからっと、中を半熟に
 
           というと、 丸いフライパンですと、難しいのです。
 
     
 
 
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           まあよく、卵焼きに砂糖を入れて、甘い卵焼きを作る人が多いので、
 
           今日は、甘い、ほんの少し酸っぱいソースを作って見たのですが、
 
           食べれないことはないのですが、 考えていたより、今ひとつでした。
 
 
 
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                   焼きたてのフカフカのパンもとっても美味しかったです。
 
                   フランスの農家の奥さんは、 日本で言うフランス料理
 
                  のような物では無くて、 お野菜だけとか、ジャガイモで、美味しい
 
                   料理を作られていて、 日本のフランス料理店の、大きなお皿に
 
 
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                  少量とソースという感じのお皿とは、少し違うようです。
 
                  写真だけなので、 良くはわからないところもあるのですが、
 
                  少しずつ実験してみようと思います。
 
 
 
 
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            今日は、原価が250円程度、  作業時間が15分程度の素人料理の
 
            紹介でした。
 
 
 
 
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           なかなか、卵料理に合うソースというのは、難しいですね、 また実験してみます。
 
 
 
 
 
 
 
                           今日の模型のお話です。
 
 
 
 
 
 
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          日本海軍 航空母艦 瑞鶴【ずいかく】 №6  2014年10月8日水曜日完成就役。
 
 
 
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                      少しずつ 組み立てていた瑞鶴が、完成しました。
 
 
 
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        こんな大きな艦が、時速65キロ程度で、海上を動くのですから、すごい動力ですね。
 
 
 
 
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            南雲 忠一 海軍中将は、艦隊派という派閥の大物で、軍縮反対派の急先鋒
 
            の将官だったのですが、 「 軍縮などばかげたことをせずに、 その間に、
 
            この翔鶴クラスの航空母艦をもう6隻程度建造できたのですが、 2隻という
 
            結果となり、 大東亜戦争に臨むことになったのですが、 南雲さんが言うように
 
 
 
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           どうせ戦争になるのであれば、 軍縮などせずに、 隠れてでも作っとけば
 
           良かったですね。
 
           当時の日本の造船技術で、 航空母艦1隻、 建造が4年程度かかったそうです。
 
 
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             まだ、勉強中で、考えが変化するかも知れないですが、無理をしても、
 
           昭和16年12月に、 瀬戸内海に予備でおいていた、戦艦主体の第1艦隊を
 
 
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            南雲中将の指揮下に入れて、 山口 多門 海軍少将の作戦計画をそのまま
 
 
            実行して、 空襲の後、 艦砲射撃と空爆で支援しながら、ハワイのオアフ島
 
            上陸、占拠すべきであったと思います。
 
 
 
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            ここに、 満州で遊んでいた、陸軍の重爆の飛行隊を転進させて、 ここを
 
            拠点として、 アメリカ西海岸の軍事基地と軍港を空爆して叩いた後、
 
            機動部隊で、 パナマ運河空爆して使えなくしてしまい、 時間を稼いでいる間に
 
            日米和平交渉をして、 早期に戦争を終結させる。
 
            この作戦を採っていたら、 ミッドウェイ海戦も、無かったであろうし、 東京も
 
            空襲されることもなかったと思います。
 
 
 
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          この山口 多門海軍少将の作戦は、 海軍軍令部と、陸軍参謀本部の反対で
 
          つぶれてしまうのですが、 大変残念な事でした。
 
 
          
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                      今日は、 航空母艦 瑞鶴の完成のお話でした。
 
 
 
         
 
 
 
 
 
                 【 中国共産党と、田中角栄先生の首脳会談を考える。】
 
 
 
            昨日の投稿のお話の続きですが、 田中角栄先生は、 周恩来 首相の部隊に降伏した
 
    日本陸軍将兵の扱いに言及して、 その話を聞いて、北京に来る決意をしたと、お話になった
 
    のです。
 
 
 
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      当時の中国共産党は、 いろんな軍閥の集合体で、 日本の関ヶ原のように、様子を見て、
 
      国民党を裏切って、 共産党に味方したり、 装備もバラバラでまとまりが無く、 降伏した
 
      その地域の軍閥によって、 ずいぶんと扱いが違ったそうです。
 
 
 
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        中には、こんな感じにされて、 町の中でさらされた後、石を投げられて、いたぶられ
 
        拷問の後、中国の青龍刀で、首を切断された、可哀想な陸軍兵士の人もいたのです。
 
        日本政府は、 昭和20年8月15日以後に死んだ人には、、靖国神社にも奉りませんし、
 
        戦死扱いにならず遺族にも、恩給は出ないのです。
 
        戦争犯罪人と言って、かたづけてしまいますが、研究して見ると、 見せしめで、おかしな
 
        罪状を作られて、殺された人は当時大変多いのです。
 
        例えば、 食料がないので,木の根できんぴらゴボウ風の食べ物を作って、捕虜や、
 
        自分達で食べたわけですが、 木の根を捕虜に食べさしたという理由で、重労働の
 
        禁固刑になったり、 当時は随分理不尽なことをされたのです。
 
        
 
         ここのところを、もう少しよく調べて、 善意のある名誉回復と、その後の処置を
 
         御願いしたいというのが、僕の現在の気持ちです。
 
 
 
 
 
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          ところで当時、周恩来首相の部隊に降伏した、日本陸軍の兵士には、ずいぶん
 
          違った扱いで、「 彼等にひどい仕打ちをすると、 彼等の心の底に憎しみが生まれ、
 
          いずれ、我々に返ってくるであろう。」と言って、 中国共産党の兵士の食事より、
 
          良い食事であったそうで、 部下から、「 我々より良い食事とは、けしからん。」、
 
          「 いっそうのこと、 全員処刑しましょう、 そうすれば、食料の負担が無くなる。」と
 
          意見具申があったようです。
 
 
 
 
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         そうすると、周恩来首相は当時、「 殺してしまうのは簡単だ、しかし、その先
 
       どうなるか、 死んだ兵士の家族は、我々を恨み、いずれ、復讐が我々に返ってくるで
 
       あろう、 それが、もしかすると、我々の次の世代かも知れぬ、それは良い方法
 
       ではない。」 と言って、 時々、 日本の食事が恋しいであろうと、 天ぷらなども
 
        特別に作って、 物資不足の中、 日本人に提供していたそうで。」 そういうお話を
 
       外務省の幹部から報告を聞いた田中 角栄先生は、 こう言う人なら、話がわかるはずと
 
       考えて、訪中されたのでした。
 
 
 
 
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        周恩来 首相は、 「 当時、 彼等の考えを少しずつ変えてもらうことを考えた。」と、
 
        語り、 「 確かに日本兵の中には、全員とは言わないが、現地調達と称し、 一部に、
 
        中国人から物資を略奪したり,狼藉を働いたり、 悪い事をする者がいたことは確かだが、
 
        少しずつ、行いを反省してもらい、 反省する時間を与え、 気持ちを変えて、
 
        日本に帰国してもらいたかった。」と、 田中 角栄先生にお話になったのです。
 
 
       【次回に続く。】
 
 
 
  それではみなさん、良い水曜日の夜をお楽しみください。         ギッチョンパー♪