第960回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第959回  海軍兵学校 退艦訓練のお話の事。2014年10月8日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 私達は、「 艦が沈没する時は、急いで、艦から300メートル離れるように。」と指導を
 
受けた後、 西側の海岸に移動しまして、 待ちに待った、水練の時間となったのです。
 
 
 
 
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 私達は、お恥ずかしいですが、当時、水着という物は、存在しなかったのです。
 
 
 戦後で言う、海水パンツのことですが、 大正時代は、ふんどし という、
 
 戦後で言う、パンツのことですが、 ふんどし1丁になりまして、 海軍体操をして
 
 江田内の海に入ることになったのです。
 
 
 
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準備体操が終わりますと、 整列して、番号点呼を行い、 監事殿は、この数字を
 
頭に入れて、 生徒を管理するわけです。
 
人数が多いので、 数字が違うと、誰かが、水中に沈んでいると言う事になり、
 
点呼は、毎回、毎回、念入りに行われたのです。
 
 
古田中 監事殿が、「 全員注目、本日の訓練は、沈没する艦において、
 
指示があるまで、おのおのの、各持ち場を離れず、帝国海軍軍人の本分を
 
各自が遂行するのが望ましいが、 艦長から退艦の命令が、発令された場合、
 
急いで、 艦が傾いている方の甲板に急いで集合すること、 そして、本日は
 
これより、退艦訓練をするので、我が輩に付いてくるように。」 と、言われて、
 
 
 
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 私達は,江田内に留め置かれている、兵学校の練習船に移動したのです。
 
 それはそれは、足の裏が、火傷しそうな、熱さでありまして、7月の中旬の
 
 かんかん照りの暑さ、甲板は、焼け付くような、熱い甲板でありました。
 
 
 
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みなさん、大きな艦艇の甲板から、水面までの高さと言いますと、 平均8メートル
 
ひどい場合には、10メートルに達する場合があるのです。
 
つまり、甲板から下の海面を見ますと、 それはそれは、高い位置で、大変恐ろしい
 
恐怖がつきまといまして、  いざ、 飛び込め、逃げろ と言われましても、足が
 
とまってしまうわけです。
 
艦が、進水して、傾斜しますと、 甲板が、滑り台のようになって、人がどんどん、
 
滑り落ちていくのですが、 恐ろしい事です。
 
 
 
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古田中 監事殿が、「  本日の訓練は、甲板からの飛び込み訓練を行う、2カ所に
 
別れて、ハンモック番号順に、飛び込みを行う、 よし、 貴様 先陣を申しつける。」
 
と、私に、命令されるので、 仕方なしに、私から飛び込んだのですが、ーー、
 
水面に落ちると、大変痛いのです。
 
なれたらと言っても、 2階ての屋根が3メートル程度ですから、3階建てのその上

から飛び込んでいるような感じでありまして、 大変痛かったのです。
 
 
 
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古田中 監事殿は、「  よいか、 間違っても、 前の生徒の上に飛び込むなよ、
 
大ケガをするぞ、 用心して訓練をせよ。」と、 大声で、私達に指示を出し、
 
「 何をぼやぼやしておる、 飛び込んだら、すぐ上がってこい。」 と、
 
水面の私達に、 大声の指示が飛ぶのです。
 
 
 
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  みなさん、 水中から、ハシゴで上に上がるのも、 8メートルと言いますと、
 
 随分大変なわけでして、 当時大変な思いをしたと、記憶しています。
 
 今となっては、良い思い出ですが、 これらの訓練は、ミッドウェイ海戦で、

 赤城からの退艦の時に役に立つとは、 随分皮肉な結果でありました。
 
 
 
       【次回に続く。】