第962回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第961話 海軍兵学校 フカのお話のこと。 2014年10月10日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
         
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 軍艦が沈む場合は、 必ず300メートル以上離れて、 油の油膜から遠ざかり、
 
 なるべくまとまって、浮いて、体力の消耗を極力抑えて、救助を待つ。
 
 こう言うご指導があったのですが、 それがどうしてかと、 ある生徒に質問が
 
 指名されたのです。
 
 指名されたのは、 常時成績が、5番以内という、優秀な生徒の赤塚【後の白濱】

 栄一 生徒【 海兵52期卒 鹿児島県出身 明治学院中学卒 】でありました。
 
 彼は、おそらく、後に聯合艦隊例長官か、将官は、間違いないであろうと、生徒の
 
 間で噂のあった、優秀な生徒でありました。
 
 残念な事に、広東の方で、航空機事故で殉職してしまうのですが、また順番に

 紹介していきたいと思います。
 
 
   
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 白濱生徒は、起立して、「 自分は、集団で浮遊しておりますと、 救助が発見
 
されやすい事と、 お互いが声を掛けあい、励まして、一体感が出来、長く、
 
救助が待てるのではないかと考えます。」と、言うと、古田中 監事殿は、「 よろし

い 模範解答。」と、言われて、私達は、「 ほうーーー、さすがは 白濱生徒や。」

と思ったのです。
 
        
 
 
古田中監事殿は、「 全員 起立。」 と、号令をかけると、 「 貴様らのふんどし

は、どのくらいの長さか、解答出来る者はおるか。」と、おたずねになったのです。
 
そんなこと、 急に聞かれてもわかるはずはありません。
 
その場が、 しーーーーん としたのです。
 
 
 
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すると、 私達はびっくりしたのでが、古田中監事殿は、独特の演出の授業で知ら

れていたのですが、自分のふんどしを外して、 足首に巻きまして、「いいか、 沈没

する前に出来たらこういう風に、ふんどしを出来るだけ長く、 伸ばした状態で、足首

に巻け、そして海にはいるように。」 と、 お話があったのです。
 
 私は、当時、 「そんなおかしな恰好、なんでせにゃーならんのんかいな。」と、

思ったのですが、 「 どうして、こう言う事をするか、意味がわかるものは挙手せよ。」

と、号令がかかりますと、 しーーーん としまして、 一人だけ挙手をした生徒がいた

のです。
 
「 ほーーーーう、 だれやねん。」と、見ますと、源田【 源田 實 後の航空幕僚長

でありました。
 
古田中 監事殿は、「 よし、 そこの背の低い生徒、いうてみい。」と、許可を出すと、
 
源田生徒が、「 それは、フカ【サメ】の攻撃対策であります。」と、回答をすると、

「 よし、模範解答である。」と、 無言ながら、「 なかなかやるではないか。」と

いう、表情になられたのです。
 
 
 
 
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 瀬戸内海で、フカ というのは、関東ではサメのことでありまして、船が沈没する

と、場所によっては、 海の底から、出てきまして、 遭難者にかみついて、 食べ

てしまう恐ろしい魚であります。
 
 
古田中 監事殿は、「  フカというのは、 魚で言えば尻尾、 末尾に食いつく
 
習性があると言われていて、 足首に、ふんどしを巻いておくと、 足を食わず、
 
ふんどしにかみついて、 ある程度防げるということである。」
 
「 また、集団でかたまっていると、 襲われにくいという事も、報告があって、
 
救助に来た艦艇からまとまっていると、 発見されやすいと言うこともある。」
 
と、説明していると、  以前紹介した 柴田 和雄生徒が、「 監事殿、フカなど
 
水中に潜って、軍刀でひと突したらどうでありましょうか。」と、 勇ましい話を
 
したのですが、 古田中 監事殿は、 「サメの皮というのは、大変硬い、ざら

ざらした物で、 軍刀や、槍で突いても、なかなか相手が高速で動くのと、水中

と言う事もありうまくいかないそうである。 

 漁師の経験談では、 フカの口の先の尖った部分を棒のような物で、強打する

と、逃げていくとか、 銛のような物で突く場合は、上の部分の背びれの部分
 
 
 
 
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 の始まりの前の部分を、一点を、狙いを定めて、一気に突く、ここがフカの急所

である。」 と、説明があったのです。
 
水中に潜って、フカに対して、先制攻撃をするとは、 ずいぶんと勇ましい話ですが、
 
源田も負けず嫌いな男でしたが、 柴田生徒は、さらに露骨な所があり、
 
その後、 大西 瀧次郎 海軍中将や、その側近の源田と、対立して、殴り合いを
 
したり、戦後も、顔を合わす度に、 もめ事を起こしていくことになるのですが、 
 
まあ、殴り合いになった時は、彼が悪いのではなく、彼のお話がまっとうなお話で、
 
彼の言う事が正しい事であったのですが、 大西さんに、合わせようとしなかった

ので、「 生意気なやつ。」と、 酒に酔った大西さんから手を出したのです。
 
 柴田さんは、 悪くは無かったのですがーーーー。  
 
                                 
 
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努力家で図太い信念を持った海軍将校となり、 零戦の搭乗員となって、台南航空隊の
 
飛行隊長として、初期の大東亜戦争で活躍して行き、 戦時中から、私より早く自ら教祖

となり、宗教指導者になるのですが、また、 順番に紹介して行きたいと思っています。
 
 
 
【次回に続く。】