第977回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第976話  海軍兵学校 宮島 包ヶ浦の幕営の事。  2014年10月25日土曜日の投稿です。
 
 
 
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   大正11年7月29日の土曜日、 海軍兵学校 第52期の生徒は、 監事殿や、その他の人を
 
入れると、約300名近くの人員で、23隻程度で縦従陣の陣形で、 目的地の宮島の包ヶ浦の
 
砂浜を目視できる程度まで、近づいたのです。
 
 
 
 
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  日本海軍では、命令を発する旗艦という、司令船は、 必ず隊列の先頭を承るのが、
 
定番となっていて、 それは、明治の日露戦争日本海海戦の大勝利の時、 その時の
 
艦隊の陣形を世襲した物でした。
 
   又、後日順番に紹介して行きますが、 これらの明治の古典的な考え方は、昭和になって
 
第2次ソロモン海戦での大敗北につながっていきます。
 
  
 
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        先頭の、頭脳優秀組の第1分隊のランチが、手旗信号で、 「左弦に変針、隊列
 
      横従陣の陣形に、転舵せよ。」 と、 信号を発しますと、 日本海軍では、 信号を
 
      受信すると、 後の艦に、又、同じように信号を、随時送っていく、 そういうシステム
 
      でありました。
 
      つまり、確実に受信し、 後の艦に送信しないと、 昭和17年6月7日に発生した、
 
      栗田艦隊の巡洋艦 三隈と、最上の衝突事件のような、事故に発展していくのです。
 
 
 
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      先頭のランチが、 左に転舵して、 停船すると、 その横に並ぶように、次々転舵して
 
      横一線に、ランチが並びますと、 今度は横一列になって、 包ヶ浦の砂浜に、こぎ寄
 
      せたのです。
 
      少し手前で、 船底が破損しないように、停船して、慎重に砂浜にランチを引き上げ、
 
      私達は、整列し、口々に番号を叫んで、 点呼を行い、整列したのでした。
 
 
      古田中 監事殿が、「  全員 注目。」 と、大声で号令を出すと、私達は、注目したのです。
 
 
      
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       「 本日から、7日間、 第52期の生徒は、 ここ、宮島の包ヶ浦にて、幕営を行うが、
 
       海水浴などの遊びに来たのではない。  
 
       よいか、 ここで、 幕の組み立て、 収納、 もし、 万が一、 遭難し、無人島に
 
       漂着し、 救助を待つという想定の下、 自活の訓練を行う為である。
 
       各員、 ケガなどないよう、 又、 兵学校を離れての実習となるので、一般の
 
       宮島の島民や、 そのほかの事で、事故を起こさぬよう、 心がけよ。」
 
       「 各分隊は、 二手に分かれて、幕営の設置、 炊事の準備をする。
 
        昼の糧食を、ここの砂浜で作る、 時間はあっというまに過ぎる、機敏に行動せよ、
 
        以上、終わり。」 と、訓示があったのです。
 
        私は、海水浴かと思って楽しみにしていたのですが、「 なんや、 飯かんと
 
        あかんのか、この暑いかんかん照りに、えらいこっちゃ。」と、 思ったのです。
 
 
 
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        当時、朝の涼しい時間から、 日が照りつける暑い日中になり、砂浜は熱く、
 
        青い空に白い夏雲が動いていたのを記憶しています。
 
 
 
   【次回に続く。】