第1079回  中国共産党の毛沢東主席と田中角栄先生の会談を考える。

 みなさん、こんばんは、模型公園です。          2014年10月27日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
             普段、 料理の次に続けて投稿しているのですが、画像容量の関係で、
 
             ページを別けました、 よかったら、ひとつ前のページから、ご覧ください。
 
 
 
 
 
 
                           今日の模型のお話です。 
 
 
 
 
 
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                        今日は、 航空母艦の続きの作業です。     
 
 
 
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                こんな感じにして、 仕上げの塗装をして、乾燥させます。
 
 
 
 
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                           後の艦尾の工作をします。
 
 
 
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                             船首の部分を工作します。
 
 
 
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                        船首に、菊の御紋と、碇を接着しました。
 
 
                        今日は、こんな感じで、乾燥させます。
 
 
           【明日に続く。】
 
 
 
 
 
 
 
 
           【  中国共産党毛沢東主席と、田中角栄先生の首脳会談を考える。】
 
 
 
 
 
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         昭和47年9月26日、 日本側訪中使節団を、観光に行かせた後、 共産党幹部会で
 
         日本側と妥協して、 国交を回復することを、毛沢東主席が、決断し、 同日、 続きの
 
         手続きが北京で進んでいったのです。
 
 
         
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           万里の長城の日帰り観光から、夕方、日が沈んだ頃、北京に戻った、
 
           日本政府代表団の、大平 正芳  外務大臣に提示されたのは、
 
            中華人民共和国と、日本国政府の、戦争状態の終結の確認。
 
            国交回復の三原則の確認。
 
            中華人民共和国の戦争賠償金請求の放棄。
 
            日本政府の、大東亜戦争への反省の気持ちを発表して、今後の新しい、
 
             中国と日本の関係を築いていく確認。
 
             中華民国と、日本政府の国交断絶の確認。
 
             中華人民共和国内に取り残された、日本人の遺骨、 孤児の捜索など、
 
             今後、協議を続けて、 早期の帰還を実現することの確認。
 
             政府開発援助として、 日本側から毎年、経済援助を行っていく事の確認。
 
 
 
 
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           主に、そういうことが共産党側から提示され、 日本側は、合意案を受け入れ、
 
           共同声明の発表が行われる事になったのです。
 
           そして、とまっていた、外交交渉が、夜、動き出したのです。
 
           そして、 田中 角栄首相の要望で、 同日の夜、 毛沢東主席との首脳会談が
 
           もたれることになったのです。
 
 
 
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            田中、角栄先生は、 大平 正芳先生と一緒に、 毛沢東主席の待つ、
 
            応接室に案内され、 初めて面会したのでした。
 
            多くの人を、抹殺し、多くの人を、飢饉に追い込み、餓死に追い込み、
 
            スターリンや、ヒットラーと ならぶ、 独裁者と評判であった、 共産党の支配者、
 
            毛沢東との初めての出会いであったのです。
 
 
 
            【次回に続く。】 
 
 
 
 
       それではみなさん良い月曜日の夜をお楽しみください。              ギッチョンパー♪