第980回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第979話 海軍兵学校 陸戦用炊飯の事。 2014年10月28日 火曜日の投稿です。
「みんみんみんみんみーーーーーー。」と、宮島の包ヶ浦の砂浜で、私達は、焼けるような
暑さで、 「 あつつつつつーーーーあついがな。」と、へばり込んでいたのです。
戦後の現在ですと、 冷蔵庫を開けて、私の好物のビールでも【 淵田 美津雄氏は、ビ゛ール
好きで、 お茶代わりにビールを飲んでいた。】 ぐっと 一気に飲みたいところですが、
戦前の軍隊という組織は、 真水も好きな時に、飲めない程度、 単独行動は禁止と
なっていたのです。
つまり、軍隊という組織は、 すべて団体行動であったのです。
暑かったら、 海水の中に入って、泳いだりしたいのですが、 そういう命令も出ず、
命令のあった、 幕営の設置は完遂し、 すこし待機命令が出たのですが、何も出来ず、
炊飯係が、飯盒を炊きあげるのを待っていたのです。
実は、海軍兵学校では、 陸戦をする時には、陸上で、炊事をしなくてはいけません。
つまり、 そうですね、 第一次上海事変のような、市街地の場合もありますし、
手短な、炊事場所を接収して、 作業する場合もありますし、 ガダルカナルのような、
なにもない、ジャングルで炊事をしないといけない場合もあるのです。
かまどの作り方、 炊飯の仕方も、 授業がありまして、 ここ、宮島の包ヶ浦で
交替に実習することになっていたのです。
海軍の陸戦時の野戦炊飯は、陸軍の炊事方法とよく似ていまして、 一部、独特な部分
もあったのです。
つまり、空襲や、 敵の弾が飛んでくる心配のない場所でしたら、良いのですが、
飯時に、 たき火をして、モクモクと、炊事の煙を出しますと、 砲撃されたり
空襲を受ける、目標となってしまうので、 この授業は大切な授業であったのです。
かまどですが、 上の画像の様な、刺又式 という、支柱を2本又は、4本、6本
と打ち込んで、棒を横に通して、 飯盒を炊飯する方法とか、 壕式 という、方法が
あって、当時の教科書には、 縦が90センチ、横が100センチ 深さが50センチ程度、
地の床を掘って、 炊飯するとか、 教科書には色々載っています。
前線では、煙を出せないと言う事で、 ろうそくで、炊飯することも多かったのです。
いくら、優秀な兵器を所持していても、 糧食の補給がなければ、その部隊は、
一週間もしないうちに、全滅してしまいます。
それから、真水の飲料水の確保というのも、大切な事だったのです。
そういうわけで、 真夏の暑い中、 宮島の包ヶ浦の砂浜で、 そういう
野外授業が行われる事になったのでした。
【次回に続く。】