第1005回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1004話  源田家の心配事の事。        2014年11月22日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
         翌日ですが、父の春七の関心事は、 東京の最新情報はどうなっているのかと言うことが
 
     随分気になっていたようで、 長男の松三に、東京の様子をためつすがめつ聞いていたのを
 
     覚えています。
 
 
 
 
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     父の心配というのは、 表の生業である米作りや、副業である、お酒の販売が、 当時の
 
     シベリア出兵での、米の価格の高騰や、 その他の日用品の高騰で、 田舎の米も、通常
 
     より高値で売れて、源田家の懐に、 恩恵を与えていたのですが、 加藤 内閣となり、 
 
     シベリア撤退が決定されると、ちょうど、私達が加計の実家に8月に帰省するのと合わせて、
 
     暴落がどんどん続いていたのです。
 
     あと、2ヶ月して、 稲刈りがすんで,価格が暴落していたらと、 心配でならないようであり
 
     ました。
 
 
 
        
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          但し、松三 兄さんも、 そんな市場調査をして帰ったわけではないので、
 
          東京の赤門の近くの様子ならともかく、 日本の全体の米や、物資の相場など
 
          詳しいことはわからないのが本当のところでした。
 
 
 
 
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        当時、 広島市の 広島城の北西側、 現在の広島駅の北側あたりに、当時騎兵連隊が
 
        あって、 そこがまた、前年まで馬を随分調達していて、 つまり、 戦争で軍馬が
 
        必要というわけです。
 
 
 
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              2年後、海軍兵学校の授業で、乗馬の訓練に行く事になるのですが、
 
           馬の調達価格も、 大幅に下落していくことになっていくのです。
 
           父の心配というのは、 自分は、 海軍兵学校の学生という、現在で言えば、
 
 
 
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           国家公務員で、 衣食住国が費用を出してくれ、 海軍曹長の 下位の号級の
 
           給料がいただけるので、心配がないのですが、 松三 兄さんや、弟、妹たちの
 
           学費や、生活費のことを考えると、 脳天気にしているわけにはいかなかったのです。
 
           中国山地の山間の農家の源田家にも、 軍縮経済の波が、近づいていたのです。
 
           そんな父の顔を見て、話を聞いていると、 兵学校で、自主免官の募集があって
 
            ーーーーー云々という話を、父や家族の前でするわけにはいかなかったのです。
 
 
 
 
    【次回に続く。】