第1145回 昭和18年のフィリピン独立委員会の古写真を考察する。模型公園

みなさん、こんばんは、模型公園です。          2014年11月23日日曜日の4回目の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
                  模型公園が所有する古写真を楽しむコーナーです。
 
 
 
 
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        今日紹介する写真は、昭和18年9月に撮影された、フィリピン独立委員会の
 
        憲法草案の発表などを行ったときの写真です。
 
        フィリピンという所は、 ちょうど江戸時代の徳川家康が生きていた頃、 初めは
 
        キリスト教イエズス会の宣教師が布教に来た後、 スペインの軍隊が侵攻して
 
        植民地にされて、抵抗する人は、殺されていったのです。
 
        
 
 
       
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           これらの情報を貿易商から聞いた、 徳川幕府は、キリスト教を禁止し、鎖国
 
           行い、 オランダとの貿易のみを続けていく、 こういう事につながって行くのですが
 
           スペインが、力が衰えると、 アメリカが武力でフィリピンを征服して、植民地に
 
           してしまいます。
 
           これが、明治30年頃のお話で、 当時フィリピン独立が叫ばれ、アメリカとフィリピンで
 
           戦争に発展するのです。
 
          
 
          
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          これを第1次フィリピン独立戦争と呼ぶのですが、大正3年まで、13年間の
 
          ゲリラ戦争が続き、 圧倒的な武力のアメリカ軍に、住民は処刑されていくのです。
 
 
 
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           昭和16年12月、日本陸軍の本間 陸軍中将の部隊が、アメリカ軍を武力鎮圧
 
           すると、これらの反アメリカの人達が、日本に独立を条件に協力していくことになり、
 
           上の写真の、 ホセ、ラウレル さんという人を、フィリピン独立準備委員会の
 
           委員長に任命して、 昭和17年から、 フィリピン建国に向けて、動きが加速
 
          していくことになります。
 
 
           
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           ラウレルさんと言う人は、日本を利用して、フィリピンを形だけでも、独立国にして、
 
           その後徐々に、フィリピン人で、 独立国家を作っていこうという、 そう言う考えの
 
           人でした。
 
 
 
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            昭和18年10月に、形だけですが、フィリピンは独立国家となり、
 
            戦後、 独立国として、歩んでいく基礎が、 フィリピンの人達によって
 
            作られていくことになります。
 
 
            勉強してみると、自由と民主主義を歌いながら、 一方では、アメリカという国は
 
            随分フィリピンで 人殺しを行っていて、 こう言う事も勉強してから、
 
           それから東条英機さんや、 大東亜戦争の事を語らないといけないのではないか
 
           と、最近 つくづく考えるようになりました。
 
 
 
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           アメリカ軍の空襲が激しくなると、山下 奉文 陸軍中将は、上の写真の
 
           ラウレル 大統領を、台湾に避難させ、後に、奈良県疎開させるのですが、
 
           また、話が長くなるので、また後日紹介したいと思います。 
 
           本日は、今から71年前の、古写真の紹介でした。
 
 
       【次回に続く。】