第1017回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1016話 広島の下宿の夕食の事。 2014年12月4日木曜日の投稿です。
大正11年8月15日月曜日の早朝、 自分は家族に敬礼した後、手短に別れを告げて
兄の松三は、 東京帝国大学の夏季休暇が、まだあるので、 農作業など父の
手伝いをするとのことで、 一人で広島の下宿先に急いだのです。
予定としては、本日中に、広島の下宿先に到着し、 一泊した後、 16日の早朝、呉経由で
小用、 江田島に至る予定で、 17日の水曜日からは、また娑婆とはお別れして、
厳しい海軍兵学校の訓練がまっていたのです。
以前紹介しましたが、 山縣郡加計町には、戦後 鉄道がしかれるのですが、
大正11年当時は、 そのような物はなく、加計から、可部に出るだけで、
ほぼ1日の日程で、 可部まで出て、 現在の広島駅の西側に、横川という
所があるのですが、 このあたりに、軽便鉄道の停車場が当時あったのです。
まあーー、8月15日と言いますと、まだ、セミが 勢いよく鳴いていて、ずいぶん
暑かったのですが,兵学校の辛い訓練と比較しますと、まだまだ極楽でありました。
自分は夕方、やっとの事で原のおばさんの下宿の土間に到着したのです。
土間で、かがとを揃えて敬礼し、「 海軍兵学校、源田 實生徒、到着いたしました。」
と、挨拶すると同時に、 ぷぅーーーーんと,魚を焼く良い匂いがして、原のおばさんが、
「 實【みのる】さん、 あがりんさい、 今ね、たいを焼きょうるんよ。」
と、 それはそれは美味しそうな塩焼きでありました。
「 明日【8月16日】は、實さんの誕生日じゃけぇ、 少し早いけど、
今日は、18歳の誕生日祝いじゃん。」と、 こういうやりとりをして、
2階の自分の部屋に上がって、 浴衣に着替えて、 畳に寝っころがったのです。
自分はダメもとで、海軍兵学校を17歳、 戦後の現在で言うと、つまり高校2年生の
5月に受験して合格し、海軍兵学校に進学したのです。
つまり、 自分と同級生の人達は、2歳年上の人達ばかりで、中には淵田生徒のように
3歳年上の人達もいるわけです。
そのような環境の中、 負けず嫌いの精神で、 果敢に打ち込んでいったのですが、
学問は何とかなるにしても、体力面の差というのは、当時随分開きがあり、難儀をした
のです。
自分は、体格が小柄であったので、現在で言う高校2年生が、大学生と勝負しても
分が悪く、ついていくのが精一杯であったのです。
その日の夜は、 娑婆での最後の夜でしたが、下宿先のおじさん、おばさんに、
18歳の前祝いをしてもらい、 随分楽しい思い出が残っています。
そして、 ふんどしを締め直すというか、 明日から兵学校に戻って、頑張ろうと
決意を新たにしたのです。
【次回に続く。】