第1185回 昭和18年大東亜結集国民大会の古写真を考察する。模型公園

みなさん、こんばんは、模型公園です。       2014年12月12日金曜日の3回目の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
               模型公園が所有する、古写真をみんなで楽しむコーナーです。
 
 
 
        
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         この写真は、昭和18年11月6日に、現在の国会議事堂の前での記念写真と
 
 
         思われる写真で、 当時陸軍報道部が、大量に写真をすって、プリントして
 
        宣伝でばらまいた数百万枚の一枚です。
 
        当時、 中国の南京にも知られていないのですが、中国人を代表者とする
 
        満州国とは別の国が出来ていて、 フィリピンや、ビルマ、 蘭印、現在の
 
        インドネシア、 タイ王国、などが大東亜会議に出席し、東京の永田町に
 
        あつまったようです。
 
 
 
 
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           そして、 翌日の撮影と伝えられるのが、この写真です。
 
           昭和18年11月7日撮影とあります。
 
           この写真の場所は、現在の日比谷公園で、 「 英米を撃滅。」をみんなで叫んで
 
           欧米の植民地主義を武力で取り除き、 人々を奴隷から解放し、 東アジアの
 
           国々の民族の自立を支援し、 1日も早く独立をと、叫んだそうですが、
 
           後から考えると、 東条英機さんの一生のうちの、絶頂期でした。
 
           日清戦争、 日露戦争の時のように、この時点で講和を結んで、戦争を終わらせ、
 
           日本は、後で、密かに軍事支援をして、 戦争から手を引くべきだったと、
 
           思います。
 
 
 
 
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          東条英機 陸軍大将は、 天皇陛下の命の保証と引き替えに、 見世物になって
 
          死んでいくことを選ばれたのですが、 もし話が出来たら、もう少し別の良い方法は、
 
          なかったのか、 どうしたら良かったのか、 話をしてみたかったと思います。 
 
          死刑になった後、 お孫さんのお話では、 天皇陛下からお手紙が来たそうで、
 
          昭和天皇こと、裕仁殿下は、当時辛い日々であったと思います。
 
 
 
【次回に続く。】