第1027回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1026話  若い兵士の命は経済の肥やしであるの事。  2014年12月14日日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
   
 
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         自分は、終戦を迎えた九州の地で、戦後しばらく活動していく事になるのですが、
 
         企業のトップの席に座りますと、 毎月 雇用している人などの経費などが多額の
 
         資金が決まって出ていくわけです。
 
         企業では、 こういう毎月決まって出ていく経費のことを、固定経費と呼ぶのですが、
 
         業種にもよりますが、 わかりやすく言えば、戦後の現在の価値に直すと、従業員
 
         が100人いますと、毎月5000万円程度の人件費他の支払いが発生し、 その他の
 
         仕入れの費用も入れますと、 多額の金銭が出ていくわけです。
 
         それ以上のお金が入金になれば良いわけですが、 集金してきても、約束手形
 
         あったり、 中には資金不足で、売掛金が払えないという相手も出てきて、
 
        
 
 
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           営業して、仕事を用意し、 それをこなして、 集金するというのは、現在と違い
 
          戦後の混乱期と言うこともあり、 非常に難しい事であったのです。
 
          これが、 財閥となりますと、たえず、口をパクパクさせて、いろんな事に手を出して、
 
          お金を集金して、動いていかないといけないわけでして、 仕事が出てきて営業すると、
 
          実は、もう遅いわけです。
 
          つまり、 競争相手もいるわけで、 まともに仕事の確保が難しいのです。
 
          それでどうするかというと、 研究の末出てきた結論は、自分で種をまいて、仕事を作り、
 
          他社に横取りされないように、縛りを入れるといいますか、 囲い込みをするわけです。
 
 
 
 
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            大正6年に欧州大戦が終了すると、 日本の財閥の経営者は、自らの仕事を
 
          作るために、あの手この手で動き回り、新しい戦争を作ろうとしていったのです。
 
          そこで、陳情に行ったのが、陸軍の山縣 有朋侯爵の所であったのです。
 
 
 
 
 
 
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           山縣 有朋侯爵は、自分を通さない物事に関しては、断固反対し、 横やりを
 
           入れて混ぜ繰り返すことは有名で、 明治天皇なども、まゆをひそめて、毛嫌い
 
           されていたのですが、 軍、政治、官僚を押さえて、派閥を形成した実力者で
 
           切ることが出来ない程度、 その山縣閥の実力は大きな組織となっていたのです。
 
           つまり、みんな反対されて頓挫するのを恐れて、山縣有朋侯爵に挨拶に行き、
 
           金銭を渡し、その資金で、 山縣有朋侯爵の長州閥は維持されていたのです。 
 
 
 
 
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          その話の内容というのは、 日本の経済のために、シベリアに出兵しようという
 
          もので、 ここで、「 おみゃーらー、戦争をしようというが、戦費はどうするんなら。」
 
          と、 山縣 有朋侯爵の質問に、 「 戦費をイギリスから借り入れるのです。」と、
 
          申し上げたのです。
 
          当時、黒海の北のウクライナでは、 ロシアの共産革命勢力が、食料や物資を
 
          求めて、 ウクライナに侵攻し、 農家を襲い、 教会を破壊し、 どんどん南下を
 
          続けていたのです。
 
          大英帝国などは、 黒海に艦隊を進めて、 ウクライナに軍隊を進めて、次の
 
          戦争を始めようとしていたのです。
 
 
 
 
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             そこで、三菱などの財閥からの提案は、 イギリスにロシアの共産革命勢力を
 
          極東の背後から攻撃し、牽制する代わりに、 イギリスに、戦争国債を買ってもらい、
 
          戦費を調達し、 日本がウラジオストックを押さえて、 シベリア大陸をこのさい征服し、
 
          領土を広げようというお話であったのです。
 
 
 
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        山縣有朋侯爵の頭の中には、 これらの話の御輿に乗ると、多額の金銭が懐に入り、
 
        イギリスには、貸しを作り、 満州東北部より北を占領すれば、日本の安全保障上、
 
        非常に有益で、戦費もイギリスから調達できるのであれば、問題なかろうと考え至り、
 
        この財閥の作った船に乗ることにしたようです。
 
 
 
 
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           当時の財閥の経営者は、 自ら戦争を作り、山縣有朋侯爵に金銭を渡し、
 
           戦争を続けていくことで、物資の納入を財閥で独占し、経済活動を行い、自らの
 
           財閥の経営を維持し、 戦争で戦死する若い兵士の命は、経済の肥やし程度
 
           と考えていたようで、 日本はどんどん戦争の道に進んでいき結果、多くの人が
 
           民間人を巻き込んで、戦死していったのです。
 
 
 
 
       【次回に続く。】