第1031回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1030話  死を覚悟の財政再建の事。 2014年12月18日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
            
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 原のおじさんが、「 おぃーー、加藤さんは、地元広島の出身のひとじゃけぇ、
 
先月、広島の商工会でのう、 内閣総理大臣の就任祝いをみんなでしたんじゃがー、
 
あの人はいけんのうや、 あの人の政治いうんは、商売人には、不景気になるばぁ

ーーじゃ。」と、言うので、自分は、箸で魚をつつきながら、だまっておじさんのお話を

聞いていたのです。
 
 
 
 
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 原 敬 内閣総理大臣が東京駅で暗殺され死去し、 その後暫定内閣として、
 
銀行家の高橋 是清 大蔵大臣が、内閣総理大臣に就任したのですが、野党
 
憲政会の 加藤 高明 議員派などの、陸軍よりの財閥の揺さぶりにあい、
 
帝国議会は混乱し、なにも決定できず、半年で行き倒れとなった後、大正11年6月

14日に海軍大臣の加藤 友三郎 海軍大将を、内閣総理大臣とする内閣が6月中

旬スタートしたのです。
 
 
 
 
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この人の政治というのは,自らの退路を断ち、 死を覚悟して暴力組織の陸軍に
 
かかんに打って出る政治でありました。
 
原、前内閣総理大臣のように、暗殺される噂が広まる中、 身じろぎもせず、
 
「見敵 必戦。」の精神で、 他の政治家、官僚が避けて通る巨大な陸軍の
 
暴力組織の足をばっさ、ばっさと、軍刀で切っていったのです。
 
 
 
 
 
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陸軍が、「1度占領したところから、撤退など出来るか。」と、シベリア撤退を反対
 
する中、大正11年6月、 就任早々、一方的に、「 同年10月までに撤退を
 
完了する。」と、新聞記者に発表し、「 勅命に反する者は、武力討伐する。」
 
と、宣言すると、 都市部で高騰して、庶民を苦しめていた、食料品の物価の
 
高騰は暴落し、 庶民には良い面がありましたが、 一方で、投機的買い占め
 
していた米屋や、 先物取引やらに手を出していた人は、破綻していったのです。
 
 
 
 
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そして、これらの企業や、個人に融資していた銀行は、莫大な不良債権
 
半年の内に抱え込むこととなっていったのです。
 
大正時代の当時、 小さな銀行は、大きな銀行からお金を借り、大きな銀行は
 
財閥からお金を借り、企業に貸し出ししていたのですが、 連鎖反応で、
 
 
 
 
 
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   経営に余裕のない、小さな銀行は倒産し、 そこにお金を預けていた、
 
  市民のお金は、紙くずになっていくという、 金融混乱が起きていったのです。
 
 
 
 
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 シベリア出兵での物資のバブルは、大正11年7月から、音をたてて崩壊し、
 
 多くの企業が倒産し、 個人投資家も破綻が続いていったのです。
 
 反面、 食料品などは、 徐々に元の価格に下がっていったわけで、それを
 
 評価する声も庶民の間ではあったのでが、 加藤 友三郎 内閣総理大臣
 
 一緒に行った、軍縮で、 多くの軍人の高級将校が、解雇、予備役にされ、
 
 多くの当時の公共事業であった、軍艦の建造が中止され、そこで仕事をして

 いた人達は解雇され、 収入を失っていったのです。
 
 
 
 
 
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そして、 それに連なって、経済活動していた企業は、資金不足に陥り、破綻して
 
銀行からの融資が返済不可能となり、多くの不良債権が発生し、日本経済は
 
混乱していったのです。
 
 
 
 
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そして、日本経済が混乱しているさなか、 シベリア出兵で兵士として出征していた
 
10万人近い兵士が、国の中に帰ってくることとなったのですが、 その人達の仕事

が当時、経済混乱でなかったのです。
 
        
 
 
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日本の農村では、高騰していた米の価格が暴落し、 少し暮らしが良くなっていた
 
のが、価格が数ヶ月で、以前以下に下がってしまい、また、貧しい暮らしに
 
戻っていったのです。
 
 
 
 
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これらの混乱で、右翼活動家など、 破綻した企業経営者など、 被害を受けて

いった人達は、 加藤 友三郎 内閣総理大臣を、「 天誅を加えん。」と叫び、
 
 
 
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 陸軍内部では「 加藤を武力討伐すべし。」という、声が高まっていったのです。
 
 
 
 
 
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 そのような中、 死を覚悟して政治に取り組んでいた、加藤内閣総理大臣は、
 
 火の粉を浴びながら、 他の内閣が、3年取り組んでも出来ないようなことを、
 
 1ヶ月で済ましてしまい、さらに、軍縮整理や、財閥へ発注していた公共事業の
 
 予算を止めて、 財政再建に取り組んでいったのです。
 
 これらの,死を恐れぬ行動は、陸軍関係者、海軍関係者、 財閥に、大きな
 
 金銭的損害を与えていったのです。
 
 
 
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   そして、海軍が明治後半から積み上げてきた、自国での軍艦の建造という
 
我国の造船の育成を続けてきた海軍の政策を、たたきつぶす政治であったのです。
 
 
 
【次回に続く。】