第1032回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/A/A20190825D/20010109/20010109201630.jpg)
自分は、大東亜戦争を経て、会社経営を経て、 戦後の混乱期でなかなか、うまくいかず、
参議院議員に当選して、 政界で20数年間活動していく事になるのですが、
その経験をふまえて、 大正11年当時の、加藤 友三郎 内閣総理大臣の政治手法は、
当時としては、異例で、 鮮やかで、 手の打ちようが見事な手法でありました。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/A/A20190825D/20010109/20010109201640.jpg)
剣道で言うと、 すすっと、間合いをつめ、 切っ先をすべらせて、陸軍の
竹刀を払うと、 左足をバネにして、 力を抜いて、捨て身で打ち込んでいく、
陸軍が、後に引くと、 さらに、間髪を入れず、2本、3本を連続して、相手に
打つ時間を与えず、 何度も命を捨てて、打ちかかっていく、 こういう
陸軍に反撃の機会を与えない程度、切り込んでいったのです。
戦後の政治家にはない、 特徴のある政治の手法でありました。
海軍兵学校の武徳殿に、 機先を制すと、 額がかかっていたのですが、
まさに、 その機先を制すの模範的な政治の統帥ぶりでありました。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/A/A20190825D/20010109/20010109201650.jpg)
それらの政治手法は、外交においても同様で、 陸軍や、外務省に実務はまかせるの
ですが、 思慮深く作戦計画を作り、自分で線路を引いて、関係者が線路から
でないように、見事な統帥ぶりであったのです。
加藤 友三郎 内閣総理大臣が考え出した、シベリアでの外交方針というのは、
モスクワの勢力を拡大して、 日本が支援していた、シベリア共和国を武力討伐した、
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/A/A20190825D/20010109/20010109201700.jpg)
当時の人は、 昨日までドンパチ 戦をしていた相手と、手を結んで、
などと、理解に苦しんだのですが、 陸軍の兵士が安全に日本の内地に
戻れるように熟慮した結果であったのです。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/A/A20190825D/20010109/20010109201710.jpg)
当時の共産革命軍の攻撃は、 武力攻撃の前に、線路に障害物を置いて、
鉄道を転覆させ、 不意に、小銃で攻撃すると言う、ゲリラ攻撃が主体で
あったのです。