第1041回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1040 話 海軍兵学校 白濱 栄一生徒の事。
2014年12月27日日曜日の投稿です。
本数冊などという、広い考査の範囲【戦後の試験範囲の事】を 本を暗記する
時間が無いので、おおよその出題されるであろう問題を予測して、 山をかけて
勉強する方法は、 当時、自分だけでなく、 他の生徒がみんなその方法で勉強
を始めたのです。
みんなと同じ事をやっていては、並程度の点数しか取れず、 難しい問題や,勉強
したことがないような問題が出題された場合、 そう言う問題が出来ず、 そう言う
勉強の方法の生徒は、運が良ければ、良い点数であったのですが、 運が悪いと、
ハンモックナンバーがすとんと、急降下していったのです。
当時自分は、成績の良い生徒が他の生徒がやっていないあることをしているの
に気がついたのです。
それは、 通称 赤塚 研究会という 研究会の存在でした。
当時、白濱 栄一生徒は、名字が赤塚という名前で、 常時首席に近い番号でトップ
争いをしていた生徒で、鹿児島県出身の明治学院中学卒の秀才でしたが、彼を見
ていると、 休憩時間中など、時間を作っては、取材というか、 なんというか、上級
生に聞き込みを行っていたのです。
初めは、当時、「 この鹿児島人、 先輩にぺこぺこして、なにをしょーーるんかい
のーー。」と不思議に思っていたのですが、 彼は、先輩に前年、前々年、どのよう
な問題が出題されたかとか、 どんな実技試験が行われたかと言う事を、聞いて
情報を集めて、それからその情報を元に、 自分で学習の計画を立てて、要領よく
勉強していたのです。
その内、 自分のように遠くから彼を見ていて、まねする生徒が出てきたのです。
に独自で偵察活動を、時間を惜しんで行って、 どんどん成績を上げていったの
です。
そして、同じ県の出身者は、どうしても派閥を作るというか、 鹿児島弁が恋しい
のか、鹿児島県人が集まって、 そのうち日曜日に研究会を開くようになったようで、
同じ鹿児島の 有馬 純一生徒 同じく、有馬 高泰 生徒 などが研究会を開いて、
鹿児島人だけで、 考査対策をして、 当時、良い点数をとってハンモックナンバーを
上げていったのです。
内田 成志 生徒と、 鹿児島県の出身の 白濱 栄一生徒、 有馬 純一生徒
有馬 高泰 生徒の5名が、良い点数を取ってトップを争っていたのです。
そこで自分はどうしたらよいかと考えたのですが、 自分も同郷の先輩を訪ねて、
上級生の、 広島第1中学の卒業者を捜して、 偵察活動ををすることにしたのです。
【次回に続く。】