第1044回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1043話 海軍兵学校作戦計画の事。 2014年12月31日 水曜日の投稿です。
高級佐官が出席して、海軍大学の一室で、 戦闘の顛末や、その後の戦果などを討議する
のですが、総じて結果が悪くなったり、失敗した事案を総合すると、 結論として、 計画が
良くない場合がほとんどで、その時は、 よく考えて計画を立てたつもりでも、 その後 失敗
して考えて見ると、計画がお粗末であることがほとんどであります。
自分の人生の痛恨の出来事であった、ミッドウエイ作戦は、どういうわけか、反省会は
開かれなかったのですが、 後に振り返ってみますと、計画がまずかった、 特に、
自分が赤城の病室に入院していたこともあって、作戦に途中から加わる形となり、
航空乙参謀が立案した作戦を追認した形で、中途半端になってしまったのです。
いろんなケースを考えて、もう少し緻密な索敵計画を立てて、検討すべきでしたが、
不運も重なり、一段索敵のみの索敵がうまくいかず、敵の位置、その数、兵力
が不明のまま、目隠しをして、戦闘をすることとなり、受け身のまま、防空戦となり
善戦して、百数十機以上の多くの敵機を撃墜したのですが、 最後に多くの被害が
出たのです。
戦後の現在振り返ってみると、 計画が甘いものは、戦闘にしろ、商売にしろ、
企業経営にしろ、選挙や、 入試にしても、必ず良い事にはならないという結論に
達したのです。
自分が航空自衛隊を退職し、 随分経ち、 昭和40年代後半に、同期の淵田
美津雄氏や、後輩の奥宮 正武 氏の影響で、 本を出版することになったのですが、
その本に、いろいろ長年経験して得たことを書き表したのですが、 何事も初めに
計画をたてる前に、 情報を収集することが大切で、 わかりやすくお話しすると、
そうですね、みなさんが飛行機に乗って、 横須賀の飛行場から、愛媛の
自分が司令をしていた、松山の基地に飛ぶとします。
飛ぶ前に、 計画を立てる場合、 距離はどのくらいあるのか、 どこに
飛行場があるのか、 気象条件はどうなのか、 どこを目標に飛んでいくのか、
その情報を元に、計画を立てるわけです。
飛び立って、時間がいくらかかるのか、 燃料がいくら消費するのか、
いくら航空燃料を登載する必要があるのかなどーー。、
いい加減な情報ですと、 計画自体もいい加減な計画になりますし、情報、
つまり、 索敵偵察という物は、 大変大切な事だと痛感し、 松山を拠点とした
防空戦においては、 何事も偵察を重要視して、 なんども、なんども、偵察機を
飛ばして、敵の動勢の把握に努めたのです。
そして、敵の急所に、 一点集中して、戦闘機を投入したのです。
それから、ミッドウェイ作戦での戦訓は、 1つの部隊に、2つの命令が与えられ、
その命令を遂行しようとして、 混乱を起こしたことでした。
つまり、陸を爆撃しろと言う命令と、 艦船を攻撃しろと言う命令が存在していたため、
非常に航空母艦の格納庫内で、多くの混乱が発生したのです。
その原因は、 索敵の不備で,情報が後手、後手にもたらされ、みなさんのご存じの
結果になっていったわけです。
それから、広範囲に部隊を展開したため、戦力が分散し、 戦力が薄くなってしまった
ことも敗戦の原因でもありました。
それ以後、 自分は部下に対して、 2つの命令を掛け持ちさせることは避けたのです。
つまり,1つの部隊には、1つの命令を与える。 「これだけをしっかり完遂しろ。」と、
命じたわけです。
「あれもやってこい、これもやってこい、 ついでに、これもやってこい。」と、
こう言う命令は発令しないよう、心がけていたのです。
そう言うわけで、 「 事前に念入りに調査をして、どんなことでも、情報を集める。」
こう言う事が、非常に大切な事で、 そして、「 いろんな各度から、検討し、不可抗力を
考えて、計画を作る。」 こういう計画をカッチリ作っておくと、何をするにも良いことです。
そう言うわけで、学業の考査も【戦後の試験の事】、 情報収集、偵察活動が
大切でありました、 その活動で得た情報を元に、 考査の期日を特定し、
まず、あと何日時間と、日数があるのかを特定した後、 全体を考え、勉強する
日にち配分、 勉強して覚える場所を決めて、良く計画を検討して作り、
熟慮して、日程を決めて合理的に勉強していくことが大切です。
つまり、教科書を全部覚えるのは無理があり、 要点を勉強するわけです。
自分は、先輩生徒から情報を集めて、教科書の、どのあたりが出題されるか、
検討して、要領よく勉強していった結果、 年上の同期の生徒ばかりの中で、
だんだん成績が上がっていったのでした。
【次回に続く。】