第1072回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1071話 世界で初めての航空母艦への着艦事故の事。 2015年1月28日水曜日の投稿です。










   大正11年3月5日のこと、 横須賀海軍航空隊の 吉良 俊一 海軍大尉の操縦する新式の

  三菱内燃機(株) 10式艦上戦闘機は、 特務艦 鳳翔の上空を旋回していたのです。






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               【  世界で初めての艦上戦闘機  10式艦上戦闘機  】




          特務艦 鳳翔【ほうしょう】は、 横須賀軍港を 朝出港し、 猿島沖で、 右に転舵して

         
          東京湾を南下したのです。

      
          それに伴って、 水雷艇が2隻、鳳翔に同伴し、 左弦 右舷 後方に距離500

       
          メートルで、 鳳翔に続いたのです。



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          これはどういうことかというと、 もし着艦に失敗した場合、 海中に着水した


          パイロットを救助するためで、 戦後の現在では、 航空母艦の上空にヘリが

          待機して、着艦失敗の後に、着水があった場合は、 救助チームが、直ぐ駆け

          つけて、パイロットを救助する仕組みです。


          当時は、ヘリなどがはなかったので、 水雷艇で、 鳳翔の斜め後方で、


          左弦、右舷に待機して、随伴することになったのです。  




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          吉良 海軍大尉の 10式艦上戦闘機は、 鳳翔の上空を数回通り過ぎた後、

         
          艦尾後方より、1万メートルから徐々に、速度と、高度を落として、着艦体制を

          
          整えたのです。




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           一方、鳳翔は、打ち合わせ通り、 風上に向かって、 豊島 二郎 海軍大佐の

            
           指揮の下、 「両舷全速。」 と発令があり、 機関室のタービンをめいいっぱい

           回転させて,全速力で航行し、 飛行甲板上に強風を作っていったのです。


           いよいよ、 着艦と、 手旗信号の信号兵が、旗を左右に動かして、 飛行機に

           指示を出すのですが、 鳳翔からの煤煙で、視界が遮られ、 飛行甲板が

        
            視認出来なかったようで、 吉良 海軍大尉は、 スロットルを搾っていたのを、

       
            全開にして、 急上昇し、 鳳翔の上を通り過ぎて行ったのです。


            みんなが見上げる中、 数回、鳳翔の回りを旋回し、 再度艦尾から

           吉良海軍大尉の10式艦上戦闘機は、 アプローチに入り、 スロットルを搾って

          
           高度を落とし、 ふわりと落ちるような感じで、 鳳翔の飛行甲板に着艦したのです。





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           ところが、 エンジンのプロペラを回しながら、轟音とともに、 艦の右側からの

       
           風に煽られて、 それと同時に、 着艦指揮所の塔に、接触すると思ったのか、

           左舷に、飛行機の操縦幹を操作したのかはわからないのですが、見ている人が

          
           「 あっ。」と声を出す間に、 横風を受けて、飛行機が裏返しとなり、 一回転して

        
           飛行甲板から外れて、 海中に飛び込んでいっていまったのです。




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           日本人による、初めての鳳翔の飛行甲板の着艦実験は、突風という思わぬ


           出来事で失敗し、 海中に飛行機が突っ込んでしまうと言う事故になったのです。


           複葉機というのは、 操縦幹を動かすと、 ピタ、ピタッと飛行機の機体が動いて


           格闘戦においても、 曲芸飛行においても、 大変良い飛行機なのですが、


           反面、風の抵抗を受けやすく、 もろに風を受けると用心しないと、 くるっと


           回転してしまうような事態になっていくのです。


           大空の上なら、 機体を立て直せばよいのですが、 飛行甲板の上などでは、


          多くの事故の原因になっていったのです。





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           短い距離で、早く浮き上がり、 発艦はやりやすかったのですが、非常に、


            扱いは、繊細であったのです。



            海中に 着水した、吉良 俊一 海軍大尉は、水雷艇に救助され、 その日の


            午前中の 着艦実験は,中止となったのです。




     【次回に続く。】