第1075回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1074話 創生期の航空母艦のお話。 2015年1月31日 土曜日の投稿です。
【 世界で初めて、 航空母艦として建造された、鳳翔 ほうしょう 】
日本海軍が、大正12年の3月5日に、特務艦 鳳翔【ほうしょう】に、吉良 俊一海軍大尉
が、日本人として初めて着艦に成功し、 みんなで、万歳三唱していた頃、 地球の反対側の
大西洋では、 どうなっていたかというと、 なんと、 同じような事が、日本人より早く行われて
いたのです。
オーストラリアや、ニュージーランド、インド、エジプトなど、世界の多くの国を支配する
巨大な植民地を有する 海軍国家であったのですが、 イギリス人の知恵というのは、
感心するばかりで、 当時は、航空母艦 という、軍事用語は世の中に存在しなかった
艦船から、 航空機を飛ばして運用しようという研究と実験が繰り返されていたのです。
【 改装前の イギリスの巡洋艦 フューリアス 】
避けて、 速力の早い巡洋艦を、改装しようという合理的な物でありました。
て、陸上用の飛行機の発艦させる実験を行ったのです。
そして、 フューリアスは、 2万2450トンの船体に、 前に飛行甲板を有した
珍しい姿となったのですが、 航空機の搭載が、5機で、 速力は32ノットと
高速であったのですが、 発艦は出来ても、 着艦が出来ないという、そういう
艦であったのです。
それはなぜかというと、 艦橋や、煙突が そのままの状態で、 中央にあるため
飛行機が着艦出来なかったのです。
そこでイギリス海軍としては、 この艦橋と、 煙突をなんとかして、 飛行甲板を
フラットの状態、 つまり全通飛行甲板にしようという計画が起案されて、
改装されていくことになっていったのです。
大正5年から、 8年にかけて、 巡洋艦などを改装して、 全通の飛行甲板を
有した、初期の航空母艦の元祖がイギリスにおいて、 改装工事が進んで
行く事になっていったのです。
大正5年に、カレイジャス 22,350トン 速力30ノット 42機搭載
大正6年に、 グローリアス 26,518トン 速力31ノット 48機搭載
大正7年に、 アーガス 14,450トン 速力20ノット 30機搭載
大正7年に、 ヴィンディングティブ 9,750トン 速力30ノット 20機搭載
航空母艦の元祖を建造していったのです。
小型のボート置き場や、 エンジンの回転試験を行う場所として使用されている
のですが、 驚いたことに、イギリスでは、艦尾から、水上機を運用するように
出来ていて、 大正7年に完成した、 ヴインディクティブ などは、右舷に
3基、 左弦に3基 と、合計6基の 53センチ魚雷発射管を有して、 魚雷戦を
行えるように出来ていたのです。
イギリス人の 物を考えて作って実用化していく能力というのは、 当時たいしたもので
あったのです。
航空母艦という 軍事用語がなかった当時、 イギリスでいろんな考えが生まれ、
実験され、 実用化され、 エレベーターの考えなども、 イギリス人の発明であった
のです。
そのような事で、 それらの情報は、言語が共通のアメリカ海軍にも伝わることとなり
【次回に続く。】