第1092回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1091話 伏見宮貞愛親王の事。     2015年2月17日 火曜日の投稿です。








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         話は少し戻るのですが、 日本の初めての航空母艦の特務艦 鳳翔【ほうしょう】が

        横須賀の猿島沖で、 着艦実験をしていた当時、 海軍兵学校では、 2月11日の

        日曜日に開催される、分隊対抗のボート教練の訓練に忙しかったのです。




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            真冬の2月に、 江田内の海面で行われる訓練は、随分寒く、大変であったの

            ですが、 そのような中、東京から訃報がとどき、 伏見宮殿下 崩御

            知らせであったのです。





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                【  陸軍元帥  伏見宮 貞愛 さだなる  親王  】



           伏見宮 貞愛 親王は、 安政5年生まれで、 西南戦争、 日清戦争では、

          第4旅団長で遼東半島へ出陣、 日露戦争では、第1師団長を務め、

          大正元年では、 皇族で初めて 内務大臣を務めた人でありました。

          大正12年の2月5日 の月曜日にお亡くなりになり、 海軍兵学校で、ボート競技

          が行われた、2月11日 日曜日の週の、 14日 水曜日、当日は冷たい雨の日で

          したが、 国葬が行われる事になったのです。





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           ところで、伏見宮家は、 貞愛親王崩御により、 長男の博恭 親王


           引き継がれ、 伏見宮 博恭親王殿下は、 以前紹介した、 海軍内の





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                      【  伏見宮 博恭 ひろやす 親王   】


          艦隊派の重鎮、で、 昭和になって、 聯合艦隊司令長官になる、高橋 三吉

          海軍大将と、 本省派を 粛正していく事になっていくのですが、 そのことは

          また、後日紹介したいと思います。

          大正時代の 10年から、末期にかけては、 幕末の明治維新で活躍した、




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          山縣 有朋公など、 多くの人がこの世を去っていき、 新しい昭和の夜明けのような


           そんな時代であったのです。




          【 明日に続く。】