第1330回 戦地での石けん製造の古写真を考察する。模型公園
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2015年2月21日土曜日の3回目の投稿です。
模型公園が所有する古写真をみんなで楽しむコーナーです。
この写真は、撮影場所が書いてなくて、どこかがわからない状態ですが、 初めは、
ようかんでも作っているのかと、思っていたのですが、 南方の島の航空隊で現地で
石けんを製造している様子のようです。
右の奥の方には、トラックが写っています。 右の人は何をしているのか、子細
不明ですが、 左の2人は、 ドラム缶で火を燃やして、 大きな鍋に、石けんの
元になる物を入れて、混ぜ混ぜしているようです。
ここで、注目ですが、 この写真に写っている、 5人の内、 1人は通常の軍帽ですが
4人は、 周囲につばのある、ジャングルハット風の帽子をかぶいています。
日本軍に こういう帽子があったようで、 興味深く見たところです。
どうして、こんな事を前線ですることになっていったかというと、 自給自足をすることに
なっていく原因の原点は、 戦闘機パイロットが戦死し、 補充ができず、制空権を
失っていった結果、 補給物資が本土から来なくなり、 食料などを島で作っていく、
こう言う事になっていったようです。
ウェーキ島などでは、食料がなくなり、 人減らしのため、 捕虜を処刑するという
痛ましい事件に発展していったのです。
こちらの写真は、 中国の河南省での 水の補給の古写真ですが、 上の写真も
冒頭の写真もそうなのですが、 前線では、水、食料、医薬品、 弾薬が不足し、
特に、南方の島々では、輸送船が撃沈され、物資が届かなくなり、多くの
日本陸海軍の部隊が、孤立していくことになります。
では、 エレクトロニクス、 つまり、レーダーや、水中ソナーの開発が遅れていて、
それらがあっても、精度が悪く、 多くの被害を出していったのです。
意見を述べる、 国会議員の人が増えているのですが、 それは、素人の考えで、
過去の大戦の戦訓を研究すると、 実に愚かな考えで、 よい作戦ではないのです。
と言うのが、 ここに基地を作ると、 制海権を失うと、 守備隊は水、食料が不足し、
孤立して、 飢餓に直面することになるからです。
そう言うわけで、 艦艇を移動基地として考えて、機動的に運用していく事が、
最良の方法のようです。
今日は、 今から約72年前の古写真の紹介でした。
ところで昨年紹介したこの写真帳、 なかなかいろんな写真が入っていたのですが、
今日で最後の紹介です。
来週からは、また違う写真を紹介したいと思っています。
それではみなさん、よい土曜日の夜をお楽しみください。
【次回に続く。】