第1099回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1098話  日本海軍 亀ヶ首秘密射撃場の事。  2015年2月24日火曜日の投稿です。






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       正12年の2月26日の月曜日の午後、 呉の火薬廠の見学をすませた後、


      どこに連れて行かれるのかと思っていると、 江田島の東側に倉橋島という

      島があって、 ここの南東の岬の先の亀ヶ首という場所に、転進することになった

      のです。



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      この周辺の海域は、地元の人も出入りは禁止になっていて、 周辺の海域での

      漁業も禁止になっていたのです。

         

    ここの亀ヶ首という場所は、戦後の現在は知る人は少ないのですが、戦前は、

  海軍の秘密実験場で、 半島の突先が、亀の頭のような姿の小高い岩礁になっていて、

  ここに砲弾を打ち込んだり、 岩礁の手前が、 埋め立てられて平地となっていて、

  その中央にぺトンの【戦後のコンクリート作りの事。】 大きな土台が作られていて、 

  右の南側の海面に砲身を向けて、 試射をして実験をしていたのです。




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  この亀ヶ首の試験試射場では、 戦艦 長門クラスの主砲や、 後には、大和クラス


  の主砲などが、 単砲身で据え付けられ、 海に向かって射撃したり、 岩礁の法面

  に打ち込んで、 破壊力を確認したりしていたようです。

         




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      日本海軍の艦載砲のほとんどが、ここで実験で据え付けられ、 性能検査や、


      耐久性などを検査され、 そして、正式採用になったり、 お蔵入りになったり

      していたわけです。



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           耐久性を調べると言う事で、爆薬の量を増やして、 発射して爆発で事故が


          おきたりしていたようですが、 一般人は立ち入り禁止、 写真撮影も禁止の


          秘密の半島で、 事故があっても、新聞などに出ることもなく、闇から闇へで


          あったようです。



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      ところで、自分達は、 射撃の見学と、 その威力の検証の見学で、 見ていて


    火遊びを見ているようで面白かったのですが、 危険なため、 数百メートル離れて


    遠くから見学することになったのです。




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      いろんな説明を聞いたのですが、 1つの砲身を、寿命を調べるために、


    1発発射しては、 データーを採取して、記録していくのです。


    そうすると、 この高角砲の射程は、○○メートルで、 通常弾頭で、発射した場合、


    ○○発の砲弾を発射すると、 砲身の交換が必要であるとか、 そういうことを


    調べていくわけです。



  

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      見学しているのは、 物珍しく、見ていたのですが、作業するのは命がけで、


      自分達が見学して、 数ヶ月して、 この場所で、魚雷の爆薬試験をしていて

     爆発事故があって、 作業していた下士官、水兵が爆死する事故があったそうで




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           爆薬というのは大変恐ろしい物だと、 この時学習したのです。





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       ところできれいな色の黄色い日本海軍の爆薬は、その後も事故が続き、


   ついに、 原料から違う物へ変えるべきだと言う事になっていき、石油を

   原料にした、 トリニトロトルエン や コルダイト という物質に変わっていくのですが

   やはり、爆発事故というものはなくならず、 真珠湾作戦の時の赤城の艦長

          
   長谷川海軍大佐殿も、 爆発事故に巻き込まれて事故死されたり、 

   淵田 美津雄氏が参謀を勤めていた、 テニアン 島 に当時、決戦に備えて、

   弾薬が備蓄されていたのですが、 突然爆発し、 多くの死傷者を出し、そのような

   爆発事故が続いて行ったのです。




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  そして、陸奥も ある日突然爆発し、 一瞬で沈んでしまうわけですが、 多くの場合、


  大量の爆薬が、爆発するため、関係者や、 証拠になるような物が一瞬で吹き

  飛んでしまい事故の原因がわからず、 何度も何度も同じような事故が続いて

  いったのです。

       
   戦艦 陸奥の場合も、 沈んでいた機雷に反応したとか、 水兵が自殺したとか、

 いろんな仮説があるのですが、 現在も詳細な原因についてはわかっていない

 のです。




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      日本海軍の爆薬というのは、 金属にふれると化学反応で爆発し、

     また、長期間の保存には向いていなかったようです。


     ちょっとした振動や、 揺れで爆発したり、 爆発すると周囲がすべて吹き

     飛んでしまい


      原因がわからないので、 作業する人は命がけであったのです。


    これらの扱いは、 航空機の爆弾や、魚雷も同様でありまして、 1度爆発すると



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        次々、誘爆していき、ミッドウェイ海戦の時のように、手がつけられなく


        なっていくわけです。


        自分達は、 呉の火薬廠の見学で、爆薬の恐ろしさを指導を受けたのですが

        実際にそのすさまじさを身をもって体験するのは、19年後の昭和17年に


        なってからでありました。



        【次回に続く。】