第1126回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1125話 食が細る内閣総理大臣の事。  2015年3月23日 月曜日の投稿です。





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         大正12年の4月初頭、 桜の花が咲いた頃、 東京府海軍省では異変が

        おきていたのです。

        内閣総理大臣 兼 海軍大臣 加藤 友三郎 海軍大将が みるみる痩せていった

        のです。

        理由は、 食事を食べても嘔吐してしまうと言う症状でした。


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            もともと、加藤 友三郎さんと言う人は、 ワシントン軍縮会議でも、アメリカ人から

           つけられたあだ名は、ろうそく という呼び名で、 やせ形の体型でした。

           沈勇士 で知られる 佐久間艇長の時代の呉鎮守府長官時代の食生活の

           記録を見てみると、 朝と昼を食べて、 忙しい時は昼も無しで、 夕方酒を飲んで

           つまみに少々何かのおかずを食べる程度の食生活であったと伝えられています。

           食べ物が食べられなくなっていったという症状は、内密にされていて、本人も

           随分無理をして、気力で公務に出ていたようです。




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              4月からどんどんやせ衰えていき、 周囲も心配していたようですが、

              本人は「 心配ない。」 と 周囲に告げていたようです。

              加藤友三郎さんと言う人は、 山本 権兵衛 海軍大将の番頭格で、

              大正3年から 海軍大臣を歴任し、軍政の加藤として辣腕を振るってきた

              のですが、 人事の山本 と、呼ばれた 山本 権兵衛 海軍大将は、

            


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             加藤友三郎 海軍大将を、御用繁多と考えて、 内閣総理大臣に専念させ、

             海軍大臣の任を解いて、 絶対裏切って暴走しない 自分の腹心を海軍大臣

             に据える人事を考えるようになっていったようです。

             5月に入ると、 加藤 内閣総理大臣の病状はどんどん進んで、やつれていった

             のですが、気力の人の 加藤 海軍大将は、そのまま公務を続けていったのです。


      【 明日に続く。】