第1129回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1128話  財部海軍大臣 江田島視察訪問の事。 2015年 3月26日木曜日の投稿です。





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                   【  広島県 江田島海軍兵学校  】



   1923年 大正12年5月15日 海軍大臣に就任した、財部 彪 【 たからべ たけし】海軍大将は、


   同月、28日に呉鎮守府を視察訪問し、 翌日の5月29日の火曜日に海軍兵学校を視察に訪れた

   のです。




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   当時、自分達生徒もそうですが、監事や、教官、 監事附きの下士官もそうですが、海軍大臣

   何を視察に来られたのかと言う事については、一切知らされなかったのです。

   


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   海軍兵学校の西側正面玄関の桟橋から上陸された海軍大臣一行は、校長の谷口 尚真

  海軍中将などの出迎えを受け、 なにやら話ながら、校長室の方に消えていったのです。




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   自分達は、整列して 海軍大臣閣下を、 送迎しただけで、 「あの人が、海軍大臣か、

   第15期の兵学校の卒業生で首席であったらしい。」と 同じ分隊の生徒から聞いて、

   「 ほうーーーー、たいしたもんじゃのう。」 と、 こんな事しか当時思わなかったのです。



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   1ヶ月後、 自分達に噂が広がったのですが、 この時にどうも人員整理の命令が、海軍大臣

  から直接、 海軍兵学校の校長の 谷口閣下に対して発令されたようです。




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                   【  当時の海軍大臣  財部 彪 海軍大将  】



   その内容というのは、当時1号生徒、 つまり自分達のひとつ上の学年の第51期の生徒が

   当時 約254名在籍していたのですが、 7月に卒業したら、 海軍兵学校の生徒は約350名

   程度に減少するのです。

   しかしながら当時の江田島海軍兵学校には、 1クラス 【 当時の一学年の事】 300名の

   3クラス 900名に対応する 監事、教官、監事附、文官教師、一般小僧 【 一般の江田島在住の

    一般職員】が配置されていたのです。

    



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                 【  当時の海軍兵学校 校長 谷口 尚真 海軍中将 】



    海軍大臣の 財部 海軍大将は、ピーク時の3分の1程度に生徒が減少したので、監事、教官、

    監事附については、 他の鎮守府、艦隊に転勤させ、 一般人の、文官教師、一般の小僧を

    第51期の卒業式の後、大量解雇するよう、江田島を訪れて、谷口 海軍中将に命令を発令

    したようです。

  


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    当時、海軍兵学校の生徒や、職員にはこのことは内密にされ、そして周到な準備の後、

    ひと月後、 校長先生から、1人ずつ解雇通知を受け取ることになっていったのです。




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            当時の52期の生徒が、いつかは海軍から首にされると噂が立って、

                       そのピークに達したのは、大正12年の夏場でありました。

           淵田 美津雄氏などは、 当時 ピリピリして 深刻に考えていたようです。

           それはなぜかというと、 故郷に海軍を解雇されたと言って、戻るわけには

           いかなかったのです。

           それは自分も含めてみんな同じであったのです。

           江田島の人達はこの事件の事を、財部台風と呼んだのです。



【 明日に続く。】