第1133回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1132話  海軍兵学校 悪い噂のこと。  2015年3月30日 月曜日の投稿です。





   1923年 大正12年の8月に入ると海軍兵学校の中は、ガランとしてすきま風が吹くというか

なんというか、 自分達が大正10年に入学したときは、900名程度生徒が在籍したのですが、

当時、半分以下の400名程度となり、 さらに、教官、 監事附の下士官なども転勤していき、

民間よりの文官の教員、 傭人、 職員 など姿が消えてしまい、静かな物でした。

いつか水漏れして騒動となった 海軍兵学校の風呂場は、 1号生徒の風呂場が混雑し、

2号、3号 専用の浴槽は、 生徒が少ないので快適な空間が生まれていたのです。



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       そして、経費の削減と言うためか、 腸チフスの予防のためかはわからないのですが、

       原村という場所での野外演習や、 毎年行われる 夏場の幕営 【 戦後のキャンプ

       の事】が延期になったのです。

       毎年、2号、3号生徒は、宮島の海岸に、 1号生徒は、少し遠いのですが、四国の愛媛県

       の今治 【 いまばり】の西の海岸に幕営を行いに行くのですが、軍縮の台風は兵学校を

       吹き抜けていったのです。





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        どこからともなく沸いて出た話が、 おそらく兵学校の外の江田島の町からだと

        思うのですが、 海軍兵学校の人員整理に反対した、前校長の千坂閣下は、

        内閣総理大臣の加藤 友三郎 海軍大将と、海軍省の財部 海軍大臣に追い出され、

        予備役にされて、海軍をクビになったらしいとか、 現在の谷口 校長は、加藤 友三郎

        と同郷の 広島市の出身で、 「 こんなやつら、ろくなもんじゃない。」と、 悪い噂が

        広がっていったのです。




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        しかしながら、離れた場所から眺めて良く考えてみると、当時の校長の谷口 閣下

        ほど、海軍省の圧力と、地元や、学校関係者の間で挟まれて、断腸の思いで

        海軍省の命令を実行していかねばならなかったわけで、 随分辛い立場で

        あったと推察します。

        そして、海軍兵学校の中に衝撃が走ったのが、 内閣総理大臣 加藤 友三郎

        海軍大将が、 陸軍の関係者に暗殺されたらしいと言う、そう言う噂が広がって

        行ったのでした。



       【明日に続く。】