第1157回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
何事もそうですが、 計画を立てる時は情報が大切で、その情報に元図いて
計画を作るわけです。
そう言うわけで、情報を得る 偵察活動というのは非常に重要であります。
戦後の 企業経営の経済活動においても、うまくいかない時は、必ず計画に不備が
あるのです。
その原因はなにかというと、 偵察活動の情報が不十分で、 計画の検討が浅い場合
が多いのです。
商売の事業や、戦闘行為においても、 事が始まった場合、 時間の流れが速く、後手後手に
回ってしまうのです。
そのようなわけで、 市場調査、偵察活動というのは非常に重要なのです。
そして、計画の目的を 当初にちゃんとはっきりさせておくことが非常に大切な事です。
その目的というのは、経験から言うと、 なるべく1つにしておくことが重要です。
目的を2つにすると、 例えば、 島の占領と、 敵の艦隊を撃破するという2つの
目的を同時に実行しようとすると、 どうしても無理が出て来るわけです。
ミッドウェイ海戦の混乱がよい例です。
そう言うわけで、 自分は戦時中の部下や、戦後の自分の会社の社員や、航空自衛隊
の時の部下には、目的を1つしか与えなかったのです。
「 これだけを、ちゃんとやってこい。」 と、 ひとつ命令するのです。
だけから、なんと関東一円に災害地域が広がったことが続々と偵察情報が寄せられ
前代未聞の大災害と言う事が、 次々明らかになり、 一晩で立案した、食糧配給
計画なる物は、不備が続出し、 破綻を露呈したのです。
草鹿 参謀が、 震災当日立案した計画は、 横須賀市とその地域の限定した
食糧配給計画が目的でありました。
10時間経過して、 日が明るくなり、次々入ってくる偵察の情報を集計すると、
房総半島から、伊豆半島まで、 広大な地域が被災地であると言う事がわかってきて、
冒頭紹介した、 作戦計画の 目的が随分変化して、規模が大きくなり、見直しをせざる
を得なくなってきたのです。
これらの状況を聞いた、当時の横須賀市長で、 奥宮 衛 【まもる】 予備役少将は、
つぎの様な提案をされたのです。
地割れがしたり、 崖が崩落したりと、陸上輸送は麻痺している現状を
ふまえ、 海上よりの輸送について、 意見具申をされたのです。
海軍の主要軍港から、往復していては、 1度片道4日程度かけて到着して又、
積み込みして、 戻って来るまでに、1週間以上を要すわけです。
そういうことをすると、 時間と燃料を消費して、段取りが悪いと指摘されたのです。
奥宮市長が提案されたのは、 鉄道と 大型艦の出入りが可能な港が使える
陸上の鉄道を使用して、 どんどん、24時間絶え間なく物資を搬入して、
ここの港から、横須賀に 海軍の艦艇で輸送をする提案をされたのです。
これが可能になれば、 1日程度で、次々海上輸送が可能となり、輸送時間も、
燃料も、節約出来、 横須賀に援助物資がどんどん、毎日入ってくる計算に
なるのです。
ロスがないよう、艦艇を24時間 動かすべきだと意見を述べられたのです。
奥宮 横須賀市長の提案を受けて、 司令部ではもっともな意見として、
先任参謀の 小林 省三郎 海軍中佐を中心に、現在横須賀に向かっている
各鎮守府の所属艦艇と位置と、 その補給計画がすぐ検討されることになったのです。
軽微な港を急いで偵察することになったのです。
戦後の現在、 日本の物流の約7割は、 海上の船舶での輸送になります。
航空機や、トラックの陸上輸送が発達した現在においても、どうしてこういう
数字になるかというと、船舶というのは、 大量に1度に物資の輸送が可能で、
そして、大量に運ぶことでコストが安くつくためです。
非常に重要なのです。
【 明日に続く。 】