第1159回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1158話 関東大震災 大命降下の事。     2015年4月26日 日曜日の投稿です。






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     ここ数日、横須賀市を中心とした、関東大震災の当日と、翌日のお話を 草鹿 海軍中将の

     実際体験されたお話を中心に紹介してきたのですが、100キロ程度離れた東京府

     どうであったかと言うと、 地震の揺れは、横須賀市や、藤沢市あたりよりひどくなかった

     ようです。

     しかし、 正午頃に発生した地震のため、炊事の火が倒壊した建物に燃え移り、当時の

     記録では、130カ所程度 同時に火災が発生し、 地震からすぐ、 東京湾が水位が

     上がって、現在の羽田あたりから、品川、田町、浜松町、築地、 墨田 あたりに



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         電信柱より高い、津波が押し寄せたそうです。

         数度、 打ち寄せては、 戻っていき、海岸沿いの船や、家を飲み込んで多数の

         行方不明者が出たようです。

         その数は、数千人とも、数万人とも言われていて、被害者の集計は不可能であった

         そうです。



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        地震で、警察署や、行政機関が麻痺して 機能しなくなり、 至る所に火災が発生し、

        火災が発生したらその先どうなったかというと、 風が吹いたそうです。

        つまり、 火災の熱気で 風が起こり、 その風でどんどん火が煽られて広がっていった

        そうです。



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         当時の目撃情報では、1階が押しつぶされ、2階がその上に載っているような、

         そう言う光景が、広がっていたようです。

         そして、多くの人が1階に閉じ込められ、 避難できず、火災で焼死していったのです。

         5時間後の夕刻には、 東京では、火災旋風 という、火の竜巻が発生し、



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          広い道路や、 広い空き地や、 そう言う場所に避難していた人に、火災旋風という

          火の竜巻が 近ずいてきたかと思うと、 大八車の荷物や、衣服が急に燃え上がり

          人々は、 まとめて大勢が火だるまになっていったようです。



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          密集しているので、 逃げようにも逃げられず、あっという間に、炎の竜巻に飲まれて

          黒こげになっていった様です。

          これらの火災は、 記録によると、3日、3晩 続いたそうで、海上から見ると

          東京は、火の海で手がつけられなかったという目撃情報の信憑性を高めるものです。




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       ところで、宮城 【 きゅうじょう 現在の皇居の事。】では、 地震の被害があったようですが、

       東宮 摂政殿下【 後の昭和天皇 】は、ご無事であったようです。

       ところが、南側の 浜松町から上野、日暮里あたりまで、火の海となり、 殿下も

       宮城の北側に避難されたようです。



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         野外に避難していた、元 内閣総理大臣の元老 西園寺 公望 公は、 1週間前に病死した、

        内閣総理大臣 故 加藤 友三郎 海軍大将の 後任を早く選出して、国難に対処すべきと、

        殿下に奏上をしたようです。

        このような、東京府が火の海になる大惨事に、内閣総理大臣が不在ではよろしくない

        と言うわけです。



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           当時、西園寺 公望 公の腹心の 牧野 伸顕 子爵が、宮内大臣をしていて、

           摂政 東宮殿下の信任厚く、 牧野 宮内大臣も、総理大臣を誰にするのがよいか

           相談を受けたようです。

           条件は、 この国難に際し、 難しい陸軍をとりまとめて、海軍、政治家、官僚を

           動かせる人物は誰かと言う事になり、 当時 、 そう言う人は一人しかいなかった

           のです。



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              大正の初めに、シーメンス事件という、戦艦 金剛をめぐる贈収賄事件で

             内閣総理大臣を辞任し、 その後、政界のキングメーカーとして、影の総理と

             呼ばれていた、 山本 権兵衛 海軍大将でした。

            このような経緯で、 汚職事件で身を引いていた山本 権兵衛 海軍大将に

            大命降下【 たいめいこうか  天皇から、内閣を組閣する勅命を受けること】が

            下ったのです。

            問題は、 巨大地震で被災し、陸軍省や、海軍省、 首相官邸とも連絡が付かず

            当時、 総理大臣臨時代理をしていた、 内田 康哉 外務大臣とも、連絡が

            つかなかったようです。


             
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           東京の火災というのは、 人の手では手がつけられず、 燃えるに任せる状態となり


           風の吹く方向にどんどん広がっていき、 多くの人が亡くなっていったのです。



         【 明日に続く。 】