第1176回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
横須賀鎮守府の門前を、草鹿 海軍大尉を訪ねて来たのです。
会って、顔を見て すぐ思い出したのですが、 前の前任の長官のお使いで時々
あったのです。
もう一人後にいる人は面識がなく、 金さんと言う 李さんの知り合いらしい。
「 朝鮮人参屋さん、 生きていたのですか。」 と、問うと、李さんは、 「家財は商品
共々灰になってしまいました。」と言う、 李さんが、 「副官、 顔は火傷をされている
ようですがーー。」と問うので、 草鹿参謀が、 「 実は 1日の日に 大滝町で火に
囲まれまして、危うく命を落とすところでありました、軍服は焼け焦げる、まひげは
焼けてチリチリとなり、顔はヒリヒリするし、 その後風呂にも入らず、ずっと地震の
救援活動で、軍服も焼けて穴が開いて、汚れたままのこの姿、 ところでどうされ
ましたか。」 と 草鹿参謀が問うと、
「 副官殿、 実はこちらの金さんを、東京に向かう海軍の船に乗船させて
いただけないでしょうか。」 と言う。
金 さんと言う人は、日本語が片言しか話せないようで、「 コノジシンデ
トウキョウノ ムスコ サガシニイク。」 と、たどたどしい言葉で言うので、
草鹿参謀は、 大きな声で 「 絶対 許可を出しません、 いけません、
今、 東京などに行ったら、生きて戻れないでしょう。」 とぴしゃっと 断ったのです。
話の内容とは、おおむねこんな事であったのです。 金さんの息子が横須賀から東京に
行って、関東大震災となり、連絡が付かず、親として心配なので息子を探しに行きたい
という、 問題は、住所も場所もわからず、東京と言う事しか手がかりがないという。
当時東京の火災は 未だ鎮火せず、紅の炎が夜空に広がっていたのです。
説明して、東京は火の海になっていて、 自警団が朝鮮人狩りをしている
らしい話を2人に言って聞かせたのです。
大火の中の東京市街に入り、 住所や、手かがりがないまま、息子を捜すなど
その先、自警団に捕かまって、 殺される可能性が非常に高いとお話ししたのです。
先ほどの横浜の暴動の話を聞き、 なにか役に立つことがあったら手伝わせて
ください。」 と言う、 金 さんも、 「 ソウイウコト ナラ ワタシモ ナニカ スル。」
と、2人が言うので、 翌日 2人を小林先任参謀に紹介して、 前任の司令長官の
取引先と言う事で、 李 成元 氏を 横須賀の朝鮮人受け入れの世話役 兼
通訳とし、 金 さんを その補佐役と言う事にして、 金さんの息子さんはいずれ
東京からいろんな人が避難して来るであろうから、 その時に哨戒艇の艇長の
同期の 木村大尉に名前だけ聞いて頼んでおくことにしたのです。
小林 省三郎 海軍中佐を長として、 その補佐に当時、 海軍砲術学校に
片言の 朝鮮語がしゃべれる 渥美 亀太郎 海軍少佐 【 海兵36期卒】がいて
実務の対応を 渥美少佐が統帥し、 その補佐に 李 成元さんと金 さんが、
広報活動や、 色々手伝うことになっていったのです。
乗船させ、 少しずつ 横須賀の陸軍砲兵第1連隊の倉庫の敷地に保護して
いくことになっていったのです。
このような経緯で、 横須賀に逃げてくることになった、朝鮮人の人も、日本人から
色々説明を受けるよりも、 同じ朝鮮人の 李 成元さんから、 野間口長官の考えを
説明して、 広報してもらい、 それを聞いた朝鮮人の人も、治安の良い 横須賀に
避難する事をためらわずに 安心して移動してくれたのでした。
【 作者より 】
今日紹介した2名のお話は実際あった事実で、 お名前もそのまま紹介しました。
商売していた 李 成元 氏 と 友人の金 氏 が 自ら志願され、 横須賀に
避難されてくる朝鮮人の人達の世話や、 横浜に停泊する崋山丸に出向いて、
横須賀鎮守府の告示を 通訳して 被災者に伝えたりと、無報酬で なにも見返
りは求めず、立派な仕事をされたと、 お話がありました。
今日、考えて見て、なかなか自分のことばかり考える人が多い中、模範とすべき
心がけの人と感じました。
【 明日に続く。】