第1180回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1179話 関東大震災 野外での就寝の事。 2015年5月17日 日曜日の投稿です。
見ると、 食糧を買うことも出来ず、 部会【町内会の事】の配給の長い列に並んでも、
「一般市民用だから海軍関係者は遠慮してもらいたい。」と言われたそうで、徒労に
終わり、 公邸の食糧は底をつき、 朝から何も食べて無い状態であったようです。
震災発生後、風呂にも入らず、 1日、 真水一合、 乾パン数個の配給が続いて
4日後に帰宅して、 御飯と味噌汁を食べようと楽しみにして帰って来た、野間口長官と
草鹿 参謀は顔色が変わったのでした。
草鹿 参謀は、「 長官、自分が部会長に掛けあってまいります。」というと、 長官が、
「 副官 明日にしたらどうか。」 と言う、 「 明日は早朝から予定がぎっしり入って
おります。」というと、 妹に、「 おい、 その部会長とかのいる場所に案内しろ。」と
言って、 牧野運転手と、 妹御と一緒に、部会長宅に抗議をしに乗り込んだのです。
「 横須賀鎮守府 長官副官 兼 参謀の 草鹿 龍之介である。部会長はおるか。」
と、夜の広場に響き渡る大きな声で、 叫んだのです。
随分離れた場所から、数名の役員達がのこのこ歩いてきて、 草鹿 参謀は、ズィと
前に進み出て、 「 横須賀鎮守府の長官公邸の妻女に 配給をしないのはいかなる
了見か、 戒厳司令部では、公郷町町内全員一人一人に 1日あたり米一合の配給が
受けられるように、補給をおこなっているにもかかわらずーーーーーー云々。」と
大声で申し入れすると、 丁重にわびを入れて来て、「 海軍から、海軍関係者には
特別な配給があっていると勘違いしていました。」 と言う。
4日分のおのおのの配給分をまとめて受け取って、 両手に抱えて長官公邸に戻ったのです。
当日、風呂に入ろうと思えば、 地震で風呂場は壊れていて使い物にならず、 軍服は
副官官舎が倒壊していて、取り出せず、 半壊した公邸も、中にいて又地震があったら
危険と言う事で、 庭に、萱 【 かや 虫除けの網の事 】を吊って芝生の上で
野間口長官と一緒に、眠ることになったのです。
長官が、「 副官、おまん、 横須賀に来る前は樺太勤務であったそうだがーー。」と
言われるので、 「 関東 という 艦に乗り組んでおりました。」 と申し上げると、
「 おいも、【 鹿児島の方言で 自分もと言う意味】 第3艦隊の司令長官として、 浦塩に
【 うらしおに 現在のウラジオストックの事】 随分おりもんしたが、 今の季節で
よかったでごあす。」と言われたのです。
確かに、夏の終わりの季節の災害で、 野外で凍えることもなく寝られるとあって、
関東大震災4日目の夜は過ぎていったのでした。
【 明日に続く。】