第1207回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1206話 関東大震災 警視庁 正力松太郎氏の事。2015年6月22日月曜日の投稿です。





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              【  関東大震災で炎上する 東京 警視庁 本庁 】



        関東大震災で、警視庁の本庁舎は、火災で全壊し、 当時 東京府

        第1中学校の校庭の幕営が 仮設の警視庁でありました。

        ここで、  正力 松太郎 官房主事、 馬場 一衛 警務部長、

        笹井 幸一郎 保安部長、 小栗 一雄 衛生部長、 木下 信

        刑事部長  緒方 惟一郎 消防部長などが集まり、陸軍憲兵隊への

        前後策が話し合われたのです。

        この会議のメンバーは、警視庁の人間ではなく、 内務省の役人で

        消防部長の 緒方氏が48才という年齢以外、 他の部長は37才から

        42才までの 若い1年したら 次の役所に移動していく官僚であり

        ました。



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     当時の警視総監を含めて、 考えが一致していたのが、自分達が短期間

     警視庁に在任中に、 大きな事件が発生し、責任を問われるようなことは

     事前に回避しておかないといけないという、 責任回避論が共通した

     考えであったのです。

      つまり、 警視庁に天下りしている間に、もめ事に巻き込まれて、出世が

      同期の内務省の役人達から遅れることにならないように、心配していたの

      です。

       東京 淀橋警察署からの報告で、大杉、伊藤、 橘 の3名が東京憲兵

       の麹町司令部に連行されて、音信不通になって、 橘少年の母親、

       大杉 栄の弟の 大杉 勇が 捜索願を提出し、 読売新聞記者が

       取材と称して、 行方を捜索しているとの情報に接し、 内務省

       警視庁の責任ではないことをはっきり 形を作っておくべきだという

       意見にまとまり、 湯浅 警視総監と 正力 松太郎 官房主事が

       内務大臣に、 これらの事を報告し、 前後策を協議する事になった

       のです。


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    【 関東大震災の当時  警視庁 官房主事であった 正力 松太郎氏】



         正力さんという人は、富山県高岡市の生まれで、東京帝国大学

        卒業し、内務省の官僚でした。

        現在風に言えば、内閣府のキャリア官僚の出世コースを歩いていた、

        そう言う感じの人で、 内務省から 警視庁の官房主事に派遣され

        内務省の官僚が、 次々交替して、警視庁を支配していたのです。

        そして、 後にわかったことですが、アメリカのCIAの諜報員で、

        コードネーム POJACPOT-1と呼ばれる、極秘に日本国内で政治

        情報収集と政治工作をするやり手の秘密工作員であったのです。




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         内務省で、 湯浅警視総監と、 正力 警視庁 官房主事の報告を

         受けた、 当時の 後藤 新平 内務大臣は 一連の事件の顛末を

         静かに聞いた後、  「 すぐ、このまま宮城の 山本権兵衛 内閣

         総理大臣に 直接報告するように。」と話をして、 自ら動こうとは

         しなかったのです。


      

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 後の、近代史研究家や、小説家は、この時の対応を、後藤 内務大臣が、陸軍の

後楯で、 現在の地位に至ったので、 陸軍ににらまれることを嫌い、自ら動こうと

しなかったという説、  大杉から アヘン取引の弱みを握られ、脅迫され金銭を

再三要求され、困っていたので、 陸軍憲兵隊を利用して抹殺させようと、 

後藤 内務大臣が事件の黒幕であったという説、 ただ、震災での災害支援業務が

忙しく、手が回らなかったので、 山本内閣総理大臣に事件を丸投げしたという説

ーーーーなど、多くの推測がされ、 現在でもその行動の理由は謎となっています。




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    湯浅 警視総監と、 正力 松太郎 警視庁 官房主事は、内閣総理大臣 

    山本権兵衛 海軍大将を訪ねて、 ウッズ 米国大使の帰った後に、面会を

    求めて 宮城の 仮設の内閣府を訪ねることになっていったのです。



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         【 明日に続く。】