第1207回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
【 関東大震災で炎上する 東京 警視庁 本庁 】
第1中学校の校庭の幕営が 仮設の警視庁でありました。
ここで、 正力 松太郎 官房主事、 馬場 一衛 警務部長、
笹井 幸一郎 保安部長、 小栗 一雄 衛生部長、 木下 信
前後策が話し合われたのです。
この会議のメンバーは、警視庁の人間ではなく、 内務省の役人で
消防部長の 緒方氏が48才という年齢以外、 他の部長は37才から
42才までの 若い1年したら 次の役所に移動していく官僚であり
ました。
当時の警視総監を含めて、 考えが一致していたのが、自分達が短期間
警視庁に在任中に、 大きな事件が発生し、責任を問われるようなことは
事前に回避しておかないといけないという、 責任回避論が共通した
考えであったのです。
つまり、 警視庁に天下りしている間に、もめ事に巻き込まれて、出世が
同期の内務省の役人達から遅れることにならないように、心配していたの
です。
東京 淀橋警察署からの報告で、大杉、伊藤、 橘 の3名が東京憲兵隊
の麹町司令部に連行されて、音信不通になって、 橘少年の母親、
大杉 栄の弟の 大杉 勇が 捜索願を提出し、 読売新聞記者が
取材と称して、 行方を捜索しているとの情報に接し、 内務省に
警視庁の責任ではないことをはっきり 形を作っておくべきだという
意見にまとまり、 湯浅 警視総監と 正力 松太郎 官房主事が
内務大臣に、 これらの事を報告し、 前後策を協議する事になった
のです。
【 関東大震災の当時 警視庁 官房主事であった 正力 松太郎氏】
卒業し、内務省の官僚でした。
現在風に言えば、内閣府のキャリア官僚の出世コースを歩いていた、
そう言う感じの人で、 内務省から 警視庁の官房主事に派遣され
内務省の官僚が、 次々交替して、警視庁を支配していたのです。
そして、 後にわかったことですが、アメリカのCIAの諜報員で、
コードネーム POJACPOT-1と呼ばれる、極秘に日本国内で政治
情報収集と政治工作をするやり手の秘密工作員であったのです。
内務省で、 湯浅警視総監と、 正力 警視庁 官房主事の報告を
受けた、 当時の 後藤 新平 内務大臣は 一連の事件の顛末を
静かに聞いた後、 「 すぐ、このまま宮城の 山本権兵衛 内閣
総理大臣に 直接報告するように。」と話をして、 自ら動こうとは
しなかったのです。
後の、近代史研究家や、小説家は、この時の対応を、後藤 内務大臣が、陸軍の
後楯で、 現在の地位に至ったので、 陸軍ににらまれることを嫌い、自ら動こうと
しなかったという説、 大杉から アヘン取引の弱みを握られ、脅迫され金銭を
再三要求され、困っていたので、 陸軍憲兵隊を利用して抹殺させようと、
後藤 内務大臣が事件の黒幕であったという説、 ただ、震災での災害支援業務が
忙しく、手が回らなかったので、 山本内閣総理大臣に事件を丸投げしたという説
ーーーーなど、多くの推測がされ、 現在でもその行動の理由は謎となっています。
湯浅 警視総監と、 正力 松太郎 警視庁 官房主事は、内閣総理大臣
山本権兵衛 海軍大将を訪ねて、 ウッズ 米国大使の帰った後に、面会を
求めて 宮城の 仮設の内閣府を訪ねることになっていったのです。
【 明日に続く。】