第1208回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1207話 関東大震災 「我輩は知らぬ。」の事。 2015年6月23日火曜日の投稿です。
内閣総理大臣 山本 権兵衛 海軍大将は、 ウッズ米国大使から、
という話を聞いて、 この問題が国際事件になると懸念するとともに、
すぐさま なにがしかの手を打つべきと考えているところに、 ちょうど、
秘書官が、「 総理、警視庁の 湯浅警視総監が面会を求めて、来られて
おります、 どのように取りはからいましょうか。」 と、秘書官が問うので、
「 今日の閣議は 何時からであったか。」 と 山本 総理が問うと、
「 はっ、 1030時からの予定であります。」 と秘書官が返事をすると、
「 田中 陸軍大臣が来たら、急用があると告げて、すぐこちらに通す
ように、 そして、すぐ閣議があるので、 手短に用件を整理して話を
するように、警視総監に伝えてくれ。」 と、 秘書官に命じて、 1923年
大正12年9月18日の午前中、 山本 権兵衛 内閣総理大臣と、
警視庁の 湯浅 警視総監 正力 警視庁官房主事との 面会が
行われたのです。
が布告され、 陸軍の部隊が警視庁管内の警察署を占拠し、 前科が
逮捕して、 その日のうちに、警察署の敷地内で処刑していることに対して、
重大な懸念を伝えるとともに 、 9月16日に発生した、 淀橋警察署に
大杉 栄 伊藤 野枝 幼少の子供を連行し、 東京憲兵隊が麹町の
捜索願が出ていることを報告するとともに、亀戸警察署では、 多くの人が
理由不明のまま、銃剣で刺し殺されたことを 手短に報告したのです。
静かに話を聞いていた 山本 権兵衛 内閣総理大臣に、 「 このまま
事態を放置していると、 読売新聞の記者が取材と称して、嗅ぎ回って
いるので、おのずと 世間の知る所となり、大きな問題になるのではーー。」
と、 陸軍省に 直ちに超法規的行為を停止するようにかけあってもらい
たいと、 申し入れたのです。
そのような、やりとりをしている最中、 「 総理、 田中 陸相が到着
されました。」 と秘書官が報告に来て、 すぐ 田中 義一 陸軍大臣が
話に加わることなったのです。
問題を語った後、 再度、湯浅 警視総監が 東京憲兵隊の 市民の殺害事件
の話の顛末を語り、 それを 聞いていた 田中 義一 陸軍大臣は、「 我輩は
なにもしらん。」 と、湯浅 警視総監に返事をした時、 横から、山本 権兵衛
内閣総理大臣が、 「 実は、30分ほど前に、ウッズ 米国大使が こう言う物を
ここに持参して、これを出して、 早急に 米国籍のこの子を釈放して、
アメリカ大使館に引き渡すよう、申し入れして来ておる。」と言いながら、写真を
田中 陸軍大臣に 手渡したのです。
【 大杉 栄 氏の 妹の子供の 橘 宗一 君 】
田中陸軍大臣は、 写真を手に取るなり、 おでこにしわを寄せて、
目を細めて、 「 早急に戒厳司令部に問い合わせて、報告させて
いただく。」 と、 山本 権兵衛 海軍大将に 約束したのでした。
となり、 陸軍大臣が自ら事件の調査に乗り出すことになっていったのです。
【 明日に続く。】